リサーチマインドを抱き続けた臨床と研究
赤芽球癆では世界最大のコホートを分析(後編)
澤田賢一(医療法人北武会 美しが丘病院 理事)
2018.06.21
澤田賢一氏(医療法人北武会 美しが丘病院 理事)
1952年北海道生まれ。76年4月北海道大学医学部卒業後、同大付属病院医員(研修医)。同年10月に伊達赤十字病院へ。78年10月に北大病院医員となり、以後、北見赤十字病院、北大第二内科研究生などを経て、86年3月に米国テネシー州のバンダービルト大学Research fellow。88年3月Research assistant professor。89年3月に北大第二内科研究生。同11月同科助手、94年同科講師、96年北海道大学大学院医学研究科分子病態制御学講座(第二内科)助教授。2002年1月に秋田大学医学部内科学第三講座教授に。12年同大医学部長、14年同大学長に就任。16年4月より現職。
米国留学で造血幹細胞純化、無血清培地作製
帰国後はCD34+細胞の純化に取り組む
バンダービルト大学では、サンフォード・B・クランツ教授の研究室に入り、クランツ先生が取り組んでいた、ヒト後期赤芽球系前駆細胞(CFU-E)の純化を手伝うことになりました。ある朝、カンファレンスで私はCFU-Eの純度を上げるために死んだ細胞を取り除くことを提案しましたが、注目されませんでした。しかし、翌日、純化細胞の半分が死んでいることをデータで示したところ、クランツ先生は、皆のいない場で「君を信頼するから、自由に研究を進めてくれ」と言ってくれました。その後は、死んだ細胞の除去、培養法の改善、純化法のチューニングを進め、ついにコロニー標本を赤芽球コロニーで埋め尽くすことができました。ヒトCFU-E純化法の確立です。それをもとに世界で初めてヒトCFU-Eのエリスロポエチン受容体(EPO受容体)の存在を明らかにしました。
次のプロジェクトとして、クランツ先生から慢性骨髄性白血病(CML)患者さんのCFU-EについてEPO受容体の測定を提案されました。私は「できれば純化造血前駆細胞に対する無血清培地の開発と、ヒト末梢血からの前期赤芽球前駆細胞(BFU-E)の純化法の開発をしたい」と申し上げましたら、CMLのプロジェクトには他の方を雇っていただくことになりました。方法論の開発など、時間とお金のかかることは米国にいるうちにしておきたかったのです。これらのプロジェクトが成功するまでには多くの壁を乗り越える必要がありました。成功できた理由の一つは、いつも細胞とにらめっこしていたからです。そのうち、培養しなくても前駆細胞の形が分かるようになりました。自分が扱っている細胞との“面談”は非常に大事なことです。
米国留学を終え、1989年に帰国しました。しばらく時間に余裕があったことに加え、クランツ先生が試薬や器具をたくさん持たせてくれたおかげで、米国で確立したCFU-E、BFU-Eに関する実験系を1カ月で立ち上げることができました。ただ、BFU-Eの純化には大量の血液が必要となりますが、貧血の患者さんから採取することはできません。そこで、骨髄細胞から造血幹・前駆細胞(CD34+細胞)を純化することにしました。若いグループ員とともに造血幹細胞と前駆細胞のpureな実験系を完成させることができました。医学部を卒業して13年目の春のことでした。
臨床的に大きな意味を持っていたのがCD34+細胞の大量純化法の開発です。移植細胞から腫瘍細胞や自己免疫細胞を除去することによって自家移植の欠点を除くことが目的です。基本的な方法は既に開発済みでしたが、扱う細胞数のスケールが違います。それまで15mLの試験管で十分であったものが、そのままでは“50Lの試験管”でなければ扱えないほどの量になります。いろいろな工夫をして大量純化法が可能になり、乳がんや自己免疫疾患の自家移植療法が我々の治療手技となりました。特に、凍結保存細胞からの大量純化法の確立は実地臨床上、不可欠の手技でした。
今はもう、様々な分子標的薬の開発によってin vivo purgingが可能となり、純化造血幹細胞移植の臨床的意義は乏しくなりました。一方で、純化した細胞を再凍結・保存することによって、基礎研究が飛躍的に容易になっています。それまでは一晩かけてCD34+細胞を純化していましたが、これ以降、凍結純化細胞を融解・洗浄することで、30分の操作ですぐに研究に取りかかることができるようになりました。
赤芽球癆の病因解析に当たって必要なことの一つはヒト赤芽球系前駆細胞の増殖・分化・死の機構について理解を深めることです。そこで小松則夫先生、小田淳先生をはじめとして多くの方のご協力をいただきながら、EPO受容体、stem cell factor受容体(c-kit)、Fasと研究を進め、腫瘍壊死因子(TNF)受容体にたどり着きました。TNFによるCD34+細胞の形態変化を見たときの驚きを今でも覚えています。CD34+細胞から分化したマクロファージ様の細胞が同時に分化した自分の赤芽球系前駆細胞を貪食しているのです。「もしかしたらここに赤芽球癆の謎を解く鍵があるのではないか」と思いました。
そうこうしているうちに私は2002年に、秋田大学医学部第三内科(血液・腎臓・膠原病内科学)に教授として赴任しました。幸いなことに、1年以内に研究システムが立ち上がりました。マクロファージ様の貪食細胞がCD34+細胞由来の樹状細胞であることを証明し、さらに樹状細胞のリガンドであるトール様受容体(TLR)、血球貪食細胞へと研究領域を広げました。赤芽球については、脱核のメカニズムの解明にも挑みました。これらの中で、TLR9の代表的リガンドである一本鎖DNA(ODN)の研究が赤芽球癆の病因を考える上で示唆に富むものでした。
私たちは、それまでの研究から特定の配列を持つODN-2006が、赤芽球系列の増殖分化を特異的に抑制することを発見していました。最も驚いたことは赤芽球系細胞の巨大化を伴っていたことです。何かに似ていませんか?そうです、ヒトパルボウイルスB19(B19)による赤芽球癆です。B19も一本鎖DNAウイルスです。そこで興奮しながらODN-2006とB19に相同DNA配列があるかどうか検索しました。あったのです。この相同配列はEPORの発現を抑制しました。もしかすると、B19もまたEPORの発現抑制を介して赤芽球癆を発症するのかも知れません。微生物の核酸が動物細胞の分化制御に関わる?そんなことがあるのでしょうか?あるのです。実は昔からそのような論文が出ていますが、注目を浴びるようになったのはやはりTLRが有名になってからのことです。
185例、世界最大の赤芽球癆のコホート研究
厚労省研究班の論文3部作が大きなインパクトに
赤芽球癆は私の研究の出発点となった疾患です。私が第三内科に赴任して間もなく、2003年に「赤芽球癆の治療」について総説の執筆依頼が来ました。それまでに私が診療した赤芽球癆の患者さんは3人のみ。無理もありません。特発性慢性赤芽球癆の年間罹患率は100万人に0.3〜0.7人と報告されているくらいですから豊富な臨床経験を持っている方は国内外に皆無で、自己経験例を含めた総説が少数発表されている状況でした。ちまたではシクロスポリンが有効であると言われていました。しかし、Wintrobe(ウィントローブ)の血液学書などの成書には副腎皮質ホルモンが第一選択と記載されていました。それもEmmanuel N. Dessypris先生(デスィプリス先生:9カ国語を操るギリシャ人で私の留学先で一緒でした)が1988年、今から30年前に出版した総説に基づいています。その中で4例のシクロスポリン使用例を紹介し「有望ではあるが、今後詳細な検討が必要な薬剤である」と結論されていました。それから20年間も時間が止まっていたわけです。
そこで「厚労省班会議の特発性造血障害に関する調査研究班」の班長であった小峰光博先生に、疑問点解明のための全国調査についてご相談したところ、ご快諾をいただき、さらにそれまで研究協力者であった私を分担研究者に格上げしてくださいました。アンケート調査で慢性赤芽球癆185例の解析可能症例が集まりました。世界最大のコホートです。アンケート調査というと「人の褌で相撲を取る」的な感じを持っていましたが、豈図らんや、その解析は非常に大変なものであると身をもって知りました。
結果、特発性赤芽球癆の治療として、第一選択薬はシクロスポリンで維持療法中止は極めて困難ということなど、様々なことが明らかになりました。論文査読者への1回目の返事はA4判で14枚、2回目の返事も8枚に上るものでした。教授になってから第一著者になった原著論文はこれが最初で最後です。赤芽球癆の研究が、日本語の症例報告から始まって赤芽球系前駆細胞の基礎研究へと進み、最終的にアンケート調査による臨床論文としてまとまったわけですが、この論文は、おそらく、私が関与してきた論文の中で最も多く引用され、最も長く生き残るでしょう。今思えば、これまでの臨床や基礎研究における研鑽は、この臨床論文を完成させるために必要な過程であったような気がします。
その後、胸腺腫関連赤芽球癆や大顆粒リンパ球性白血病に伴う赤芽球癆についてもその特徴を明らかにすることができました。これら3つの論文は『Haematologica』に掲載されています。アンケート調査、それも後方視的解析で『Blood』に次ぐジャーナルに載るの?と不思議がられました。これには基礎研究での経験が大いに役立っています。論文の図表は既に決まっており、それを埋めるためのアンケート調査でした。『UpToDate』に3編の論文がすぐに引用され総説も含めて現在、6報が引用されています。また、Wintrobeの血液学書第13版には2編の論文が引用されています。
組織に対する責任分担も必要
生命科学をベースにした診療・研究を
余談になります。多くの方がそうであるように私も、時には過重と思えるほどの教室や大学の業務に時間を取られてきました。北大時代には、教室業務として外来医長や病棟医長、医局長など。病院業務としては「HIVブロック拠点病院の立ち上げ」や「卒後臨床研修システムの構築」など病院全体のプロジェクトの委員長です。大変でした。秋田大学に赴任してからは、病院長補佐、医学部長、学長と管理・運営への貢献も必要となりました。
本分としての診療・研究・教育に集中したいとは思うものの、“ある時期”に“誰か”は教室・病院・大学業務を担当しなければなりません。その業務を誠実にこなすということは、自分の研究の場を作る上でも大事だと思っています。また、引き継いだことや言われたことを真面目にこなすだけではなく、例えば図書委員会の委員に任命されたら「大学図書館の運営」に関する本を一冊くらいは読んでおきたい。また、初めて人の上に立つ時には「人事考課」を勉強すべきです。ただその中で、研究業績を着実に重ねていくことも求められます。好きなことだけをしていては評価されない年代というものがあります。
最後になりますが、このような機会を与えていただきましてありがとうございました。大変名誉で光栄なことです。この機会に若い先生にお伝えしたかったのは、基礎研究を大事にして欲しいということです。また、どの領域を専門にしても生命科学を大事にしていただきたい。たとえば多発性骨髄腫の治療を専門としていれば、形質細胞とは何か?悪性リンパ腫を専門とするのであればリンパ球とは何か?を常に問い続けていただきたいと思っています。赤芽球癆という希少疾患を研究対象としているにもかかわらず、臨床や研究に対する私の興味が尽きなかった理由もそこにあります。
これまで数々の先輩、共同研究者、同僚、後輩の皆様に大変お世話になりました。私とともに臨床や研究に携わった一人ひとりに本人の、そして私から眺めた物語があります。その一つ一つを書き留めたいという思いは強いのですがとても書ききれません。何かの折りに少しずつお伝えできればと思っています。感謝で埋まってしまいますので個人名は敢えて最小限にしました。どうかご了承ください。