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この人に聞くThe Experts

臍帯血中の造血幹細胞の存在を最初に見出す
臍帯血バンクを設立、移植の広がりに貢献(後編)

中畑龍俊(公益財団法人実験動物中央研究所 理事、京都大学 名誉教授)

中畑龍俊(実験動物中央研究所 理事)

中畑龍俊氏

1970年3月信州大学医学部卒。75年同医学部小児科助手。78年長野県飯田市立病院小児科医長。80年米国・サウスカロライナ医科大学血液内科リサーチフェロー。82年飯田市立病院小児科医長を経て85年信州大学小児科講師、91年同助教授。93年東京大学医科学研究所癌病態学研究部教授、輸血部長、小児細胞移植科長兼務。99年京都大学大学院医学研究科発達小児科学教授。2010年京都大学iPS細胞研究所副所長、臨床応用研究部門特定拠点教授。17年7月より実験動物中央研究所理事。

 すると培養開始から18日以上経った時期に、マウスと同じように新たなコロニーが形成されていました。染色してみるとコロニーを構成している細胞は小型リンパ芽球様の未分化な細胞だけでした。取り出したコロニーを植え替えて培養すると、再び多くのコロニーが形成されました。このコロニーは芽球コロニー(blast cell colony)、コロニーの元になった細胞はCFU-Blastと命名され、in vitroで測定できる最も造血幹細胞に近い細胞と考えられました。その後、同様の実験をヒトの正常骨髄で行なったところ、予想に反して芽球コロニーはほとんど形成されませんでした。これらのことから、より未分化な造血幹細胞は臍帯血の方が骨髄よりも高頻度に存在することを、われわれは初めて明らかにしたのです。

米国血液学会(サンアントニオにて)
米国血液学会(サンアントニオにて)
左から私、小川眞紀雄先生、右端が河北誠先生

 その後、われわれの臍帯血造血幹細胞の発見に注目した米国・インディアナ大学のブロキシマイヤー博士らは、臍帯血を実際の移植に用いるための研究に発展させました。1988年、ブロキシマイヤー博士が採取した臍帯血は、ファンコニー貧血の患児とともにフランス・パリのグルックマン博士のもとへ送られ、世界初の同胞間臍帯血移植が施行されました。この移植は彼らの予想通り成功し、臍帯血中の造血幹細胞により患者の骨髄は完全に再構築されたのです。この最初の成功例を『New Engl. J. Med』誌で見たときの感激は今でもはっきりと覚えています。

 2007年の米国血液学会(ASH)で、臍帯血移植の発展に尽くした功績に対して贈られるドナルド・トーマス賞を受賞したブロキシマイヤー博士は、受賞講演の冒頭で「私の研究は中畑氏、小川氏らの発見を発展させたものであり、臍帯血移植の基礎となる彼らの偉大な研究成果がなければ私の研究はなかった」とわれわれに敬意を表してくださり、私は胸がいっぱいになりました。

ブロキシマイヤー博士を囲んで
ブロキシマイヤー博士を囲んで
前列左から外山圭助先生、ブロキシマイヤー博士、浅野茂隆先生
後列左から池田康夫先生、私、小澤敬也先生、谷憲三朗先生

帰国後は信州大で移植と研究の日々
医科研で小児科を立ち上げ移植のメッカに

信州大学小児科の野球チーム
信州大学小児科の野球チーム

 1982年7月に2年間の米国留学を終え、飯田市立病院小児科医長として復帰し、83年4月から信州大学小児科に戻りました。93年に東大医科研に移るまでの10年間は臨床も研究も充実した日々を過ごしました。骨髄移植を定着させ、多くの子どもたちを救うことができました。小児科、小児外科の医師、看護師、輸血部、放射線科、検査室、栄養室など多職種のスタッフの協力があってこその移植医療でした。

 当時は無菌室がなく、病室の清掃と消毒、マットレスや布団、おもちゃや本などのホルマリン薫蒸などは小児科医の仕事でした。特にアルコールでの病室の清拭、アルコール噴霧、ホルマリン噴霧などは3日かけて行なう大仕事でした。

信州大学小児科のクリスマス会
信州大学小児科のクリスマス会

 研究面では、ヒトの造血幹細胞の分化についての研究を進めました。1個の細胞から出発し、娘細胞、孫娘細胞が形成するコロニーを分析して、造血幹細胞からの分化様式を解明することが目標で、その結果は、造血幹細胞分化のstochasticモデルを支持するものであることが明らかになりました。そのほか、成熟肥満細胞でも外来刺激で活発に増殖すること、肥満細胞表面のFcεレセプターの抗原による架橋は脱顆粒だけでなく増殖シグナルにもなること、IL-6が未分化造血前駆細胞の増殖や巨核球系前駆細胞の増殖・分化に作用すること、stem cell factor(SCF)が肥満細胞や未分化造血前駆細胞の増殖に作用することなど、多くのことを明らかにしました。

 93年12月から、縁あって東大医科研で癌病態学研究部を主宰し、小児の移植医療を開始しました。当時の医科研では小児の移植を行なっておらず、小児科医は私一人でしたが、浅野茂隆院長をはじめ、多くの医師や看護師の支援で移植を始めることができました。やがて症例数が増えるにつれ、他の大学病院や市中病院から患者さんの紹介も増え、98年4月には小児細胞移植科という正式な診療科となり、その後は小児造血細胞移植のメッカとなりました。

1997年に東京臍帯血バンクを設立
京大小児科、iPS細胞研究所を経て実中研へ

 わが国では、1994年に最初の臍帯血移植が東海大学医学部付属病院で行なわれました。これを機に、95年にわが国で最初に神奈川臍帯血バンクが発足しました。バンク設立に向けて、当初は多くの産婦人科に臍帯血採取の協力を要請しました。そして97年にわが国で初の非血縁臍帯血移植が横浜市立大学附属病院で行なわれました。同時期に各地で臍帯血バンクが立ち上がり、私は東京臍帯血バンクの設立に奔走しました。98年には厚生省(当時)が臍帯血移植検討会を発足させ、その後、各地で稼働している臍帯血バンクがネットワークで結ばれるようになりました。

 その後、私は99年に京大小児科の教授に就任しました。そもそも私が小児科医になった理由の一つは、新生児や小児が大好きだったことです。京大では小児科医の原点に立ち戻り、ハイリスクの新生児や小児の診療に向き合いました。これは、私自身にとって貴重で重要な経験となりました。2010年にiPS細胞研究所(CiRA)に移るまでの約10年間で、ハイリスク児の治療成績が向上し、小児診療の水準が上がったと実感しました。私も少しは貢献できたと自負しています。

 それから2010年3月に小児科教授を退任し、同年4月の京大iPS細胞研究所設立と同時に副所長に任命されました。研究室では、様々な疾患を持つ患者由来のiPS細胞を用いた病態や病因の解析のために、疾患iPS細胞の樹立、病態を反映しうる適切な分化系の構築、分化させた細胞の解析、の3つの実験系の構築と組み合わせを進めました。対象となる疾患は、造血不全などの血液疾患、免疫不全症、小児難治性神経疾患などの難治性疾患です。これらの研究は、私がCiRAを退職した後も継続して行なわれています。

京都大学iPS細胞研究所(CiRA)のラボにて
京都大学iPS細胞研究所(CiRA)のラボにて

 そして23年にわたる京大での診療と研究に終止符を打ち、2017年7月から理事を務めている実験動物中央研究所(実中研、神奈川県川崎市)の専任となりました。ここでは、マウス、ラット、コモンマーモセットなど多くの種類の実験動物を作製、実験を行なうとともに、これらの動物を用いた受託研究などを行なっています。例えばマーモセットはマウスよりヒトに近く、神経システムの研究などに用いられ、NOGマウスはヒト造血幹細胞の測定に最適です。私はこれらの研究に関わったりサポートしたりしています。

 これまでの私の経験から、若手医師・研究者にアドバイスしたいのは、深く考えてから行動するということです。医師にとって臨床は重要な仕事であり、業務の多くを占めています。それでも一度は、研究に取り組む機会を持ってほしいと思います。研究を続けていると新しい発見に出合うことが少なくありません。興奮で朝まで眠れない日もあるかもしれません。

 私も肥満細胞が造血幹細胞由来であることに気付いたときは、いろいろな思いが頭を巡り、眠れない夜を過ごしました。その後も何度かそういうことがありましたが、この経験は人生を豊かにすると思います。そしてそれは、臨床にも必ず役に立つはずです。