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気鋭の群像Young Japanese Hematologist

憧れの臨床医から米国留学を経て基礎研究の道に
国立がん研究センターで新天地を切り拓く(前編)

武藤朋也(国立がん研究センター研究所 がんRNA研究分野 主任研究員)

病院で働く医師に憧れ、血液内科医としてキャリアを重ねたのち、大学院で基礎研究に打ち込んだことで、進路が変わり始めた武藤朋也氏。5年間の米国留学を終え、一旦は大学の助教として臨床・教育・研究に取り組んだが、研究に打ち込める環境を選び、2023年4月に国立がん研究センター研究所の主任研究員として新たな道を歩み始めた。焦り過ぎず、しかし早期に研究成果を出したいと抱負を語る。

武藤朋也氏
国立がん研究センター研究所の武藤朋也氏

 2023年4月から、国立がん研究センター研究所の吉見昭秀先生の研究室(がんRNA研究分野)の主任研究員として、新しい環境でがん病態の解明に取り組んでいます。研究者のスタートとしては遅め、ぎりぎりの年齢かなと考えながら、血液内科の臨床医、大学教員という道を退く決心をしました。この1年は体制作りが中心ですが、これまでの研究実績をもとに少しでも早く成果を上げるため研究の質を上げつつ効率化も進めており、報告できる結果が出つつあります。

2023年11月 吉見ラボのメンバーと。最前列中央が吉見昭秀先生、最後列左から3人目が私。
2023年11月 吉見ラボのメンバーと。最前列中央が吉見昭秀先生、最後列左から3人目が私。

生命現象に興味、臨床医に憧れ医学部へ
臨床実習で同年代の患者に出会い血液内科へ

 私は千葉県佐倉市で育ちました。佐倉市の出身と話すと、多くの人に「ああ、長嶋茂雄さんと同郷ですね」と言われます。小さい頃に病気や怪我で病院に行き、白衣のお医者さんに診てもらって安心したことが何度もあり、臨床医は憧れの職業でした。生き物好きで、虫を追いかけ回す子ども時代を過ごし、中学生、高校生になると生命現象に興味を持つようになりました。医師と生命現象は親和性があるなと考えるようになり、医学部を目指すことにしました。

 ただ、関東圏の国公立大学の医学部は難関ばかりで、両親が秋田出身ということもあって同じ雪国の弘前大学医学部に1999年4月に入学しました。大学の臨床実習で同年代の血液疾患患者さんに出会い、若い人たちが命に関わる血液の病気になっているという現実を知ったことで血液内科医になろうと決めたのです。

中世古先生と2016年米国血液学会の時にサンディエゴ・ミッドウェー博物館で。
中世古先生と2016年米国血液学会の時にサンディエゴ・ミッドウェー博物館で。

 2005年からの卒後初期研修は、生まれ育った千葉県に戻り千葉労災病院で受け、そこで1学年下の妻と出会いました。2007年4月に千葉大学血液内科に入局したのち、後期研修では成田赤十字病院の血液内科に2年勤務し、血液内科医としての経験を積みました。千葉大の血液内科の医局員として、中世古知昭先生(現:国際医療福祉大学)からは臨床でも研究でも多くのご指導をいただきました。2007年に横浜で開催された第69回日本血液学会総会で初めての口演発表をすることになった際、中世古先生が直前まで何度も予演をチェックして、多くのアドバイスをくださったことは今でも鮮明に憶えています。

大学院は臨床から離れ基礎部門で研究
病院に戻り臨床と並行して大学院生を指導

 2009年10月に大学院に進学することになり、私は血液内科の医局を離れ、基礎研究部門の研究室に入りました。血液内科の大学院では、医員不足もあり臨床の仕事がどうしても加わります。研究に集中できる環境を求め、学内留学という形で造血幹細胞の基礎研究部門に移ったのです。これは、臨床医を目指していた私が、やがて研究者へと進路を変えるきっかけになりました。

 私が進学した千葉大学大学院医学研究院細胞分子医学の教授は岩間厚志先生(現:東京大学医科学研究所幹細胞治療研究センター幹細胞分子医学 教授)が務めておられました。既に血液学、幹細胞生物学の分野で多くの研究成果を上げていらっしゃったご高名な先生でしたが、臨床医だった私はそんなこともよく分からず、研究生活に入りました。

 当時は次世代シークエンサー(NGS)の登場により、血液疾患における新たな遺伝子が世界中で次々と同定され始めた時代でした。岩間先生の研究室では、それらの変異遺伝子の造血幹細胞機能や血液腫瘍への影響を検証されていました。

 私が取り組んだテーマは、骨髄異形成症候群(MDS)において、EZH2やTET2などの遺伝子変異が発症にどう関わっているかを検証することでした。まず、MDS患者さんの骨髄細胞における遺伝子変異をNGSにより解析し、EZH2変異のある患者さんの56%にTET2変異があり、逆にTET2変異の患者さんの35%にEZH2変異があることも分かり、この2つの遺伝子変異はしばしば共存していることが判明しました(京都大学 小川誠司先生の研究室との共同研究)。

 そこでEzh2欠損マウス、Tet2低発現マウスなどを用いて、血液学的な表現型の観察と、DNAマイクロアレイ、クロマチン免疫沈降シーケンシングを行なった結果、MDSの発症においてEZH2はがん抑制遺伝子として機能するとともに、TET2変異など他の遺伝子変異と協調して機能することを明らかにしました。この研究成果は、私の学位論文であり、2013年『Journal of Experimental Medicine』誌に「Concurrent loss of Ezh2 and Tet2 cooperates in the pathogenesis of myelodysplastic disorders」というタイトルで掲載されました。また、研究業績が評価され、2014年度の日本血液学会奨励賞を受賞しました。

 研究室に入った当初は、いわゆる大学院生あるあるですが、それまで研修医、後期専攻医として臨床経験を積み、救急医療も含め診療現場で役に立っているという自負がありましたが、研究の世界では、ピペットさえ握ったことがなく“初心者”に逆戻りし、かなり落ち込みました。そんな私を見守り支えてくださった岩間先生と、当時、助教としてご指導いただいたメンターである指田吾郎先生(現:熊本大学国際先端医学研究機構 特別招聘教授)には大変感謝しています。

 2013年10月に千葉大の血液内科に戻り、臨床医として診療に打ち込む日々を送ることになりました。ただ、2年半もの間基礎研究に取り組んだことで、もっと研究を続けたい、できれば海外で基礎研究をしたいという思いも募っていきました。岩間先生に相談し、ラボの実績や論文などを検討されて留学先候補として4つの施設が挙がり、最終的に指田先生が留学した米国・シンシナティの小児病院医療センターに行くことにしました。

 実は大学院修了後、準備ができ次第留学することもできたのですが、神経内科医の妻が学位を取るまで1年間待機するという事情もあり、2015年3月まで血液内科に勤務しました。結果的に、臨床と並行して大学院生の指導プロジェクトに関わり、一緒に研究テーマを考え、指導するという貴重な経験を得ることになり、それは研究者となった今も生かされています。

〈後編では留学中の出来事や、帰国後に基礎研究一筋の道を選択されたことなどを語っていただきました。〉