TMEM30A遺伝子の多面的な機能を明らかに
カナダでのB細胞性リンパ腫の研究が結実(前編)
遠西大輔(岡山大学病院 ゲノム医療総合推進センター 血液・腫瘍内科 准教授)
2020.10.29
2019年11月に岡山大学病院の血液・腫瘍・呼吸器内科学から、同大病院ゲノム医療総合推進センターに異動した遠西大輔氏。これまで、カナダにおけるB細胞性リンパ腫に関わる遺伝子解析を報告してきたが、その最終データとなる論文が2020年4月に『Nature Medicine』に掲載された。これまでの研究に一区切りをつけ、急速に進むがんゲノム医療の臨床実装に取り組みながら、ライフワークである悪性リンパ腫の研究とのコラボレーションの実現に意欲を燃やしている。
カナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビアがん研究所に2011〜18年まで7年間留学していました。ブリティッシュ・コロンビア州では、悪性リンパ腫の全例が登録されており、そのコホート解析はこれまで世界で高い評価を得てきました。私も約500例の臨床検体を次世代シークエンサー(NGS)で解析し、多くの重要な遺伝子変異を見出し、その機能解析を行ない、様々な研究成果を得ました。そのうち、いくつかの研究結果が『Blood』『Journal of Clinical Oncology』『Cancer Discovery』などの雑誌に掲載されました。
そして2020年4月には、『Nature Medicine』誌に“TMEM30A loss-of-function mutations drive lymphomagenesis and confer therapeutically exploitable vulnerability in B-cell lymphoma”と題した論文が掲載されました。これは、TMEM30Aという遺伝子の変異が、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)において多様な機能を担っていることを明らかにしたものです。
TMEM30A遺伝子は、細胞膜の必須構成要素であるホスファチジルセリンの非対称分布およびマクロファージによって認識される“eat me”シグナルの制御に重要な働きをしています。私は、DLBCLについてゲノムおよびトランスクリプトームの統合的解析を行ないました。その結果、TMEM30A遺伝子の機能喪失型変異/欠失はDLBCLに特徴的に起こっていること、また予後良好因子であること、TMEM30A欠損細胞株およびTMEM30A変異のある培養細胞では抗がん剤の取り込みが増加し、抗がん剤への感受性が増強していることを見出しました。さらにTMEM30A欠損B細胞腫瘍を移植したマウスでは、“don’t eat me”シグナルであるCD47に対する阻害薬の効果が増強しており、マクロファージの貪食作用を増強する新たな免疫療法への入り口となる結果が得られました。一方で、TMEM30A欠損によって抗原刺激後のB細胞シグナルは増強しており、リンパ腫発生時にはTMEM30A変異/欠失細胞は有利に選択されることも示唆されました。これらは、7年間にわたるカナダでのDLBCLの遺伝子解析研究の集大成と位置づけています。
この論文の掲載と前後して、2019年11月に岡山大学病院血液・腫瘍内科からゲノム医療総合推進センターに異動となり、臨床応用部長として固形腫瘍も含めたがんゲノム医療の臨床実装に取り組むことになりました。自分にとっては大きな転換期となった数カ月でした。
人体、がんに興味を持ち医師の道へ
外科から血液内科へ
私は広島市で生まれ育ち、中学まで地元の公立学校に通いました。中学の頃から人体の構造や機能に興味を持つようになり、医師になろうと考え始めました。ちょうどその頃、NHKの特集番組でがんとの闘いをテーマにした研究が紹介され、がんにも興味を持つようになりました。
医学部入学を目指して広島大学附属高校に進学したものの、中学から始めたバレーボールを続け、結局、大学を卒業するまで12年間バレーボール漬けの生活を送りました。高校では1年上の西森久和先生(現・岡山大学血液腫瘍内科・医局長)に出会いました。西森先生とは、その後、予備校、大学、医局、研修先、そしてがん研有明病院でのレジデント研修まで、私の一つ前を歩いていただき、常に臨床医としての正しい道筋を示してもらっています。
部活に明け暮れた高校生活の後1年間予備校に通い、1996年に岡山大学医学部に入学しました。どの大学に進学するか、迷いはありましたが、中国・四国地方で歴史と伝統がある岡山大学を選びました。
どの診療科に進むかを真剣に考え始めたのは医学部5年生のときでした。高校時代に、織田裕二主演のテレビドラマ「振り返れば奴がいる」を見ていた影響もあり、漠然と外科系に行こうと思っていました。医学部に進んでからは特に脳外科に興味を持つようになりましたが、一方で、骨髄移植にも興味を惹かれました。
5年生の臨床実習でそれぞれの科の診療を見学し、脳外科では手術だけでなく、脳卒中後の後遺症への対応が重要であることを知り、一方、血液内科では造血幹細胞移植で病気が劇的に改善することを目の当たりにしました。そして、最終的に血液内科に進むことを決めました。
まだ臨床研修必修化の前だったので、6年生になってすぐに第二内科の希望を出し、研修先として呉共済病院に行かせてもらいました。祖母が呉に住んでいることもあり親しみのある町でしたし、市中病院で内科全般の研修を受けられることが魅力でした。
2002年3月に医学部を卒業し、6月から2年間で呉共済病院での研修を終えました。2004年6月からは岡山医療センター血液・腫瘍内科のレジデントとして約1年間勤務し、主に多発性骨髄腫の診療に従事しました。そして、2005年4月から東京のがん研有明病院のレジデントとして2年間勤務することになりました。
がん研有明病院での勤務で研究も学ぶ
HCV感染によるR-CHOP下のDLBCLへの影響を研究
がん研有明病院に行くことになったきっかけは、呉共済病院の研修でお世話になった日野理彦先生(前・鳥取大学教授)が「とにかく一度は東京の病院に行って研修を受けなさい」と勧めてくれたことでした。私は国立がん研究センターに見学に行ったものの、その飲み会に参加していたがん研有明病院の竹内賢吾先生から「がん研はいいよ、悪性リンパ腫の症例数は日本で一番多い病院だから」と声を掛けていただき、がん研有明病院でのレジデント研修に興味を持ちました。岡山に戻り、教授の谷本光音先生に「がん研に行きたいと思います」と相談したところ、「西森先生ががん研から戻ってくるから、替わりに行きなさい」と快諾してもらいました。
がん研有明病院では、化学療法科のレジデントとして、部長の畠清彦先生のもとで2年3カ月にわたり研修を受けました。悪性リンパ腫などの血液腫瘍だけでなく、頭頸部がん、泌尿器がん、原発不明がん、肉腫など多くのがん腫の診療に当たりました。がん研有明病院は2005年3月に移転し、新しい病院としてスタートしたばかりで活気にあふれていました。また、前年の2004年には、日本臨床腫瘍学会が特定非営利活動法人として正式に活動をスタートさせており、がん化学療法を取り巻く環境は熱気を帯びていました。
そんな中、畠先生は「午後5時以降は仕事をするな、休日には病院に来るな」と常に医員に言い聞かせていました。がん研有明病院では、主治医はいるものの診療は当番制となっていて、治療はチームでコンセンサスを得た上で行なわれていました。どの医師でも同じ治療を提供するというコンセプトを明確にされていました。その代わり、医員には「研究をしろ、論文を書け」と発破も掛けていました。今思えば、がん診療と研究の先を見据えてのご指導だったと思いますし、Clinician Scientistとしての基礎を作っていただいたと感謝しています。
こうした環境の中で臨床経験を積みながら、日本一症例数の多かった悪性リンパ腫の研究に取り組みました。中でも注力したのは、R-CHOP療法を施行したC型肝炎ウイルス(HCV)陽性のB細胞性リンパ腫における肝障害と予後を検討するというものでした。当時のエビデンスでは、B型肝炎はリツキシマブ治療中に再活性化するため、注意を要することが言われ始めた頃でしたが、日本人で患者の多いC型肝炎に関してはデータがありませんでした。がん研有明病院の院内データでも該当する患者さんが数人いましたが、より多くの症例を解析するために厚生労働省班研究として全国から症例を集めることにしました。
最終的に全国32施設から登録されたHCV陽性131例、HCV陰性422例の合計553例について、肝障害と予後の解析をしました。その結果、HCV感染のDLBCL症例では予後が悪い傾向がみられ、R-CHOP療法を施行する場合に重度の肝障害を引き起こすことが予想されたため、注意深い肝機能モニタリングが必要であることを明らかにしました。
この結果をまとめたのは、がん研有明病院での研修を終えて岡山大学大学院に入学した後のことですが、これが私の学位論文となり2010年に『Blood』誌に掲載されました。
〈後編では、バンクーバー留学中のお話と現在、大学で取り組まれているがん遺伝子パネル検査を用いたがんゲノム医療の臨床実装について語っていただきました。〉