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気鋭の群像Young Japanese Hematologist

カシミヤの質の評価から造血幹細胞の研究へ転進
プロテオミクスを駆使し蛋白質構造を次々解明(後編)

増田豪(熊本大学大学院 生命科学研究部 微生物薬学分野 助教)

カシミヤ混の毛織物の品質を
蛋白質同定の手法を用いて評価

 私は、1998年に北海道網走市にある東京農業大学生物産業学部に入学し、人間の暮らしを支える生物資源の生産、加工、販売をコンセプトとする実学を学びました。大学院に進学してからは、カシミヤという毛織物の原料となるカシミヤヤギの品種改良を目指した研究に取り組みました。カシミヤの品質は、毛の太さ、柔らかさ、光沢などで評価します。質のいいカシミヤにはどんな蛋白質があるのか、カシミヤだけにあってほかの獣毛にはない蛋白質とは何かといった研究を、プロテオミクスという技術を使って行いました。

 大学院修了後の2004年に、山形県鶴岡市の慶応義塾大学先端生命科学研究所の特別研究員として就職しました。当時はまだ、プロテオミクスのための装置が少なく、それを使いこなせる人材も少なかったこともあり、声がかかりました。

 プロテオミクスでは、分析の対象となる蛋白質を同定、定量しますが、その精度を上げるためには、試料から蛋白質を効率良く抽出することが求められます。試料の中の蛋白質を消化してペプチドにし、余分な成分を除去するために、さまざまな酵素や、溶液となる界面活性剤を試し、抽出法も工夫しました。最初の1年は何の成果も出せず、当時の上司である石濱泰先生(現:京都大学)に申し訳ない気持ちになりました。そして、半ばやけくそになって、欧州旅行へと旅立ちました。

 帰国後、冷めた頭でラボノートを読み返したところ、石濱先生のいくつかの助言を見落としていたことに気付きました。それらの助言に従ってプロテオミクスの基本骨格を組み直したところ、効率のよい蛋白質の消化法を確立することができたのです。それ以来、ラボノートをしっかり取るようにしています。こうしてメソッド開発のノウハウを学んだことにより、その後も新しい技術開発を次々に重ねていきました。

 私の研究内容はニッセンケン品質評価センターの目にも留まり、共同研究をすることになりました。テーマは「カシミヤ混」というコートやセーターの表示が正しいかどうかを、蛋白質の同定の手法を応用して調べられないかというものです。それまでは一つの製品から1000本ほどの毛を採り、1本1本顕微鏡で見て判定していたのです。そして、大学や大学院で学んだことも生かしつつ、獣毛の混合比率を生化学的に分析する手法を確立しました。

2年2ヵ月の研究生活を送ったハーバード大学医学大学院。留学中に結婚するなど、実りの多い米国留学だった。
2年2ヵ月の研究生活を送ったハーバード大学医学大学院。留学中に結婚するなど、実りの多い米国留学だった。

 博士号は東京農業大学で取得し、2012年には慶応義塾大学の特別助教となりました。ちょうどそのころ、石濱先生から「ハーバード大学(当時)の前田高宏先生が蛋白質を網羅的に研究、解析できる人を探している」との話があり、それに乗って2013年からボストンに留学することになりました。与えられた研究テーマは今回の論文につながる赤血球分化とLRFの関係を調べることでした。これまで経験したことのなかった領域ですが、これが結果的に自分のプロテオミクスの技を磨くことになったのです。前田先生には大いに感謝しています。

 LRFが胎児型βグロビン遺伝子の発現抑制に関与することは1年もかからず多くの証拠を得ることはできたのですが、どうやってLRFが胎児型βグロビン遺伝子を抑制しているのかは不明でした。LRFの機能解明は論文化に特に重要であると前田先生に指導されました。それから約1年半後の2015年春に胎児型βグロビン遺伝子につくことを明らかにし、2016年1月に論文が掲載されました。

5月26日の「メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)」に、米国最古の公園であるボストンコモンの芝生一面に手向けられた星条旗。
5月26日の「メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)」に、米国最古の公園であるボストンコモンの芝生一面に手向けられた星条旗。

新しい技術の開発によって
初めて新しいデータが得られる

 私の研究の基盤は、血液疾患ではなくプロテオミクスです。今回の論文の肝である、LRFが胎児型βグロビン遺伝子とその近傍に結合するための解析は、ブリガム・アンド・ウィメンズ病院の次世代シーケンサーを使って行いました。これは私にとって大きな成果でした。

米国独立戦争中に愛国者として活動したポール・リヴィアの銅像。背景はボストン最古の教会である北教会。
米国独立戦争中に愛国者として活動したポール・リヴィアの銅像。背景はボストン最古の教会である北教会。

 ハーバード大学には2015年5月まで在籍し、6月からはシアトルのワシントン大学に移り、1年間研究を続けました。そして、熊本大学の大槻純男先生が「プロテオミクスができる人材を探している」との情報が入り、早速応募し2016年1月に着任しました。現在は、トランスオミクスによるヒト造血幹細胞の自己複製と分化の制御機構の解明に取り組んでいます。プロテオミクス以外のオミクス解析を組み合わせ、造血幹細胞そのものの遺伝子、そこから転写・翻訳される蛋白質、代謝物などを統合的に解析し、制御機構を明らかにしたいと思います。プロテオミクスは私にとって重要な武器です。これまでの技術で解明できないことがあれば、新たな分析手法を開発していきます。現在は、1個の造血幹細胞の中にどのような蛋白質がどれだけ存在するのかを俯瞰できる技術を開発しており、造血幹細胞の異種性の解明に役立てようと考えております。

 分析とは、ある現象を見て考えて、メソッドを最適化して解明していく過程ですが、すんなりとはいきません。トラブルはつきものですが、私はトラブルシューティングが大好きです。トラブルを解決する過程で新しい技術を開発すれば、それによって生まれるデータもまた新しいのです。これからもエキサイティングな研究を続けていくつもりです。