血液専門医と医療関係者のための情報サイト「ヘマトパセオ」

気鋭の群像Young Japanese Hematologist

腸管GVHDのムチン層分解の機序を解明
米国でPIを目指し新たなチャレンジへ(後編)

早瀬英子(MDアンダーソンがんセンター Department of Genomic Medicine)

出産後は臨床医から大学院での研究に転進
Paneth細胞と腸内細菌叢との関連を追究

早瀬英子氏
MDアンダーソンがんセンターの早瀬英子氏

 北大の血液内科では、後期臨床研修後に「大学院に進学し、一定期間研究に取り組む」仕組みがあり、ママさんドクターとしてどこまでやれるか不安はありましたが、同期の先生方から1年遅れて、私は北大病院への異動と同時に大学院に進むことを決めました。これが、結果的には人生のターニングポイントになりました。

 北大血液内科は今村雅寛教授が退任されたばかりで2012年4月時点では血液内科の教授は決まっていませんでした。そして、同年8月に豊嶋崇徳先生が就任されたときには、北大血液内科に大学院1年生は私一人でした。子育て中の私に研究指導などしてもらえるのだろうかと遠慮気味に構えていましたが、豊嶋先生は「問題ない、ちょうどいいプロジェクトがある」とおっしゃってくださり、2013年の春、旭川医大を卒業して7年目に、橋本大吾先生に指導教官となっていただき本格的に基礎研究を始めました。

2012年10月 豊嶋先生就任祝賀会
2012年10月 豊嶋先生就任祝賀会

 豊嶋先生は、当時米国や欧州で研究が進み、臨床応用が広がりつつあったHLA半合致移植(ハプロ移植)を「日本で確立し、定着させる」と意気込み、奔走していました。私は、北海道がんセンターで出会った移植を断念した患者さんにハプロ移植ができていれば、と思い返すと同時に、新しい移植を「学ぶ」だけでなく、研究成果を臨床へ「導入する」豊嶋先生の姿勢に感銘を受けました。

 大学院入学後最初の1年間は臨床を主にやることになっていて、臨床を通じて研究テーマについて考え、問題点を探し、勉強するということになっていました。豊嶋先生からは「俺のこれまでの歴史を押さえておけ。」と言われ、その言葉に少し驚きましたが、これは先人の研究にリスペクトしながら研究に取り組めという意味なのだろうと考えました。

 研究領域は「GVHDの新しい治療」という幅が広く、奥行きの深いものでした。かつて急性GVHDに対しては、ドナーT細胞による患者組織の傷害を予防するための免疫抑制が重要であり、感染症予防のために広域スペクトラムの抗菌薬投与が行なわれました。しかし、私が研究を始めた頃には、患者さんの体を守ることが重要であるという次の展開が始まっていました。消化管は急性GVHDの標的臓器で、中でも腸幹細胞とPaneth細胞が標的となり重症化に関わっています。そこで私は、腸管の保護とWnt作動薬であるR-Spondin1、Paneth細胞の関わりを解明し、腸内細菌叢の異常(dysbiosis)の予防法を開発することを研究テーマとしました。ここから私は腸内細菌の世界に足を踏み入れたのです。

2015年12月 ASHでの口演
2015年12月 ASHでの口演

 はじめは、研究テーマや内容がよく理解できていませんでした。指導教官である橋本先生に一からご指導いただき、少しずつ理解を深めていきました。研究には腸内細菌のゲノムシークエンスが必須で、相当の研究費用と時間がかかるのですが、幸いにも文部科学省の先進ゲノム支援プロジェクトに採択され、九州大学、東京工業大学、国立遺伝学研究所のサポートを得て研究を進めることができました。とはいえ、年間約100件のゲノムシークエンスを2年間行ない、それらの解析を進めるにあたっては、当時の1件当たり数十万円のゲノムシークエンスの費用を考えると、プレッシャーで心が折れそうになりました。

 また子育て中のため、研究は保育園が開いている時間に限られました。どうしても実験が終わらないときもあり、中断も難しく、橋本先生に作業の続きを相談したところ、「私が子守りをするから、あなたは実験を続けなさい」とおっしゃっていただいたこともありました。不思議と子どもは橋本先生になつき、橋本先生の優しいお人柄は小さい子にも伝わるのだと感じました。

 こうして2017年3月に「パネト細胞増殖因子としてのR-Spondin1と抗菌ペプチドを用いた腸内エコロジーシステムの制御法」という博士論文を書き上げることができました。R-Spondin1が、腸内で高い殺菌作用を持つ抗菌ペプチドのα-ディフェンシンを分泌するPaneth細胞を増殖させ、α-ディフェンシンの分泌量を増加させること、R-Spondin1や遺伝子組換えα-ディフェンシンの投与により腸内細菌叢の異常を改善すること、腸内細菌叢の異常は、炎症性疾患やアレルギー、がん、肥満などに関連しており、R-Spondin1やα-ディフェンシンの投与は腸内細菌叢の異常と関連する様々な疾患への新しい治療アプローチになることを示しました。豊嶋先生、橋本先生をはじめ、多くの人に支えられて完成した論文で、チームの一員としての研究成果であることを改めて噛みしめました。

米国では小腸の細菌叢とGVHDの研究に没頭
大きなグラントを得てさらなるチャレンジへ

2018年2月 豊嶋教授が学会長を務められた造血細胞移植学会総会にて
2018年2月 豊嶋教授が学会長を務められた造血細胞移植学会総会にて

 大学院修了後も引き続き北大で移植免疫と腸内細菌叢の研究を続けたいと豊嶋先生に相談したところ、検査・輸血部の助教として採用してもらうことになりました。一方で橋本先生からは「博士号を取ったのだから、留学してはどうか」と勧められました。そういう道を考えるべきかと思い始めた頃、MDアンダーソンのRob Jenq先生が日本の学会で講演するために来日されました。ここもチャレンジと思った私は、Jenq先生に「あなたの研究室で仕事をしたい」と直接申し入れたところ、その場で「Welcome!」との返事をいただきました。そして2018年8月に夫と当時6歳の娘と一緒に渡米しました。

 米国に行く前に、橋本先生から留学の心構えとして、「先方でプロジェクトは用意されている。それをなるべく早く終わらせて、自分のやりたいテーマに取り組むことが大事」とアドバイスをいただきました。そのアドバイスどおり、渡米後4カ月ほどで最初の研究に目処をつけ、ボスのRobに「GVHDにおける小腸の腸内細菌叢とPaneth細胞の関わりについて研究したい」と申し入れました。Robは快諾し、ここから私の新たなプロジェクトが走り出しました。

2018年8月 現地の小学校の初登校日
2018年8月 現地の小学校の初登校日

 渡米直後は、家族の住居探し、娘の小学校入学の手続きなどで翻弄されましたが、Robや奥様の協力を得て何とか落ち着くことができました。公共料金の契約、銀行口座、クレジットカード、小切手の手続きなども、不得意の英語でコミュニケーションしながら少しずつ解決していきました。

 日常生活でも研究生活でも、英語には苦労しました。ラボのデスクにはメモ用紙をたくさん用意して、用件は確認しながら書き留めました。メールも膨大な量が送られてきて、それを読んで理解するのに日本語の何倍もの時間を費やし、仕事が進まず、落ち込むこともしばしばでした。それでも3カ月くらいするとネイティブのラボのメンバーが私の英語に慣れてくれて、半年後には世間話の半分くらいは理解できるようになり、まあ、こんなもんでいいかなという境地になりました。

2019年6月 ラボ旅行にて家族
2019年6月 ラボ旅行にて家族と

 『Cell』に掲載された論文は、GVHDに関する私のそれまでの研究の成果ですが、終着点ではありません。現時点での“本丸”は、GVHDにおける回腸末端、小腸末端の腸内細菌叢とPaneth細胞の関連を解析することです。既にマウスの小腸細菌叢についての研究に着手しています。

 論文掲載が評価され、大きなグラントをいただきました。これを礎にPIを目指した活動も始めました。幸い、夫は全面的に私をサポートしてくれています。彼は日本では麻酔科医として勤務していましたが、こちらでは得意のプログラミング技術を生かしてシークエンシング解析などを行なうコンピューター・サイエンティストとして同じラボに勤務し、『Cell』の論文ではsecond authorとして名を連ねています。

 豊嶋先生からいただいた最初の年賀状には「世界を目指せ!」としたためられていました。現在のボスのRobも「ワールドワイドのリーダーを目指せ」と激励してくれています。リーダーたちの言葉を大切に、チャレンジを続けていくつもりです。

2019年2月 TCTミーティングで北大の先生方とボスのRob(中央)とラボメンバーのTina(前列左から2人目)
2019年2月 TCTミーティングで北大の先生方とボスのRob(中央)とラボメンバーのTina(前列左から2人目)
2023年2月 TCTミーティングにて
2023年2月 TCTミーティングにて