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気鋭の群像Young Japanese Hematologist

リンパ腫の予後を規定する微小環境遺伝子を同定
腫瘍細胞との関わりを最新手法で解明へ(後編)

宮脇恒太(九州大学大学院 医学研究院 病態修復内科学(第一内科) 血液・腫瘍・心血管内科)

懇親会での出会いから福岡へ
グループや診療科の枠を超えて研究を進める

九州大学大学院の宮脇恒太氏
九州大学大学院の宮脇恒太氏

 後期研修1年目の2010年1月のことでした。東京での懇親会の二次会には赤司先生、宮本敏浩先生、菊繁吉謙先生、島隆宏先生ら、今思えば錚々たる先生が勢ぞろいしていました。私は初めて会う人たちに囲まれた“完全アウェー”の緊張も手伝って目の前にあるワインをぐいぐい飲みながら、話に耳を傾けていました。その時、それまであまりお話しされていなかった宮本先生が「速い!」と仰ったんです。すぐには理解できなかったのですが、どうやら私がハイピッチで飲んでいたそのワインはかなりの高級ワインだったようで、そのことを指摘されたんですね(笑)。緊張している私を気遣っていただいたのか、赤司先生がとにかくよく話しかけてくださって、すぐに打ち解けることができたのを覚えています。そこで、実に色々なタイプの人間がいつつも、お互い好き勝手言い合える雰囲気、そして彼らのエネルギー、ワイワイ感というか、楽しい雰囲気に魅力を感じ、自分のような人間でも受け入れてもらえるような気がしました。また、当時白血病幹細胞マーカーとしてのTIM-3を同定していた菊繁先生が、「一緒に白血病を治そう」と言ってくれたのも大きかったですね。その後は、若手だけでホテルの部屋で朝まで飲み明かしました。そこへ医局長の原田直樹先生が入ってきて「ここにサインしてね」と言われたのが、入局の手続き書類でした(笑)。そんな経緯で急転直下の展開で九大への道が開けたわけですが、後期研修医レベルの戦力とはいえ、急に辞めるとなると迷惑をかけることになります。そこで、恐る恐る初見先生に相談したところ、「行きなさいよ。後は何とかするから」と言ってくださったんです。このとき、自分たちの負担が増えることを顧みず、背中を押していただいた初見先生には感謝しきれません。そして2010年3月31日に、福岡へ移住しました。

 九州に全く縁がなかったので、Google mapで「中洲」「天神」「博多」など聞き覚えのある地名を打ち込むところから始まりました。慣れない九大病院血液内科病棟での勤務が始まったわけですが、そこで出会った同期の徳山貴人先生、岡英世先生、森康雄先生や斎藤統之先生をはじめ多くの先輩方のお陰ですぐに馴染むことができました。新設された無菌治療病棟は病棟全体がクリーンルームになっているため、患者さんは病室の外に出て共用スペースで集まったりもしていました。それまで自分が知っていたクリーンルームは患者さんが部屋から出られないタイプだったので、随分驚いたのを覚えています。この無菌治療部で生活のほとんどの時間を過ごし、多くの患者さんとの出会いを通じて、仲間や先輩方と濃密な時間を過ごしました。

 病棟勤務を経験した後、同期と共に大学院に進学しました。群馬時代から抱いていた想いもあって、白血病グループでの研究を希望しましたが叶いませんでした。こればかりは人事のことですし仕方がありません。膠原病グループの有信洋二郎先生のもと、正常造血の研究を開始しました。「造血器腫瘍は造血システムの異常。だから正常造血を研究することは今後どんな造血器疾患に携わるにしろ、必ず糧になる」という有信先生の言葉は、私の大学院生活の支えとなりました。有信先生と同様、ハーバード大の赤司ラボのメンバーである岩崎浩己先生、河野健太郎先生、飯野忠史先生に研究の基礎を叩き込んでいただきました。赤司先生のmentorであり幹細胞研究の巨人であるIrving Weissman先生の流れを受け、赤司ラボは細胞の純化(“幹細胞”など共通の特徴を有する細胞を分取すること)をお家芸としていました。私も正常骨髄や白血病などの造血器腫瘍の造血幹細胞・前駆細胞の研究を通して、細胞純化、シングルセル解析技術を学び、研究の基礎体力を養えたような気がします。菊繁先生やGVHD専門の豊嶋崇徳先生、腫瘍グループや膠原病グループの先生方に可愛がっていただきながら、グループや診療科の枠にとらわれずに研究を進められること、それによって多くの人とのつながりができることをこの時期に実感することができたのは私にとって大きな財産となりました。

2017年 九州大学第一内科忘年会後の血液グループの面々で
2017年 九州大学第一内科忘年会後の血液グループの面々で

 また、大学院生時代には多くの後輩に恵まれました。私たちの研究には患者さんから採取した検体が不可欠ですが、患者さんの検体は研究の都合に合わせて出てくるものではありません。欲しいときにはなかなか求める検体が出ず、今目の前にある検体は将来、誰かの研究に役立つかもしれない、ということばかりです。そこで、同期の徳山君と共に、大学院生で協働して交代制で周囲の関連施設に検体を受け取りに伺い、それを処理して冷凍保存する、という手弁当での細胞バンキングシステムを構築しました。これは多くの大学院生の自己犠牲なしでは成り立ちません。自らの時間を割いて、まさに“one for all”の精神でシステムの構築・維持に尽力してくれた当時の大学院生、そして臨床業務で忙しい中、検体提供に積極的にご協力いただいた臨床医の先生方に、この場を借りて御礼を申し上げます。ふたりの頭文字を取って “徳宮BOX”とまさに手作りでスタートしたバンキングシステムはその後、当科に加わった前田高宏先生の主導のもと、九州臨床検体ネットワーク(KCNET)として引き継がれています。

 造血の研究も一段落した頃、いよいよ白血病の研究をと考えていた矢先、赤司先生から、「久留米大学の大島(孝一)先生のところにある大量の悪性リンパ腫の病理検体を使って研究を」と仰っていただいたのが、悪性リンパ腫研究との出会いとなりました。このように、大島先生や久留米大学の方々のサポートをいただきながら、加藤光次先生と共に2015年頃から悪性リンパ腫研究を始め、現在行なっているDLBCLの予後層別化モデルと新規治療戦略の開発プロジェクトへとつながっている、ということになります。

2013年 岩﨑浩己先生・加藤光次先生と
2013年 岩﨑浩己先生・加藤光次先生と

研究者としては道半ば、米国留学も視野に
臨床医と研究者の橋渡し役になりたい

福岡からフェリーで10分の能古島からの景色
福岡からフェリーで10分の能古島からの景色

 私たち九州大学血液内科は、リンパ腫研究では新参者であり、私たちの研究はまだまだ発展途上です。今後研究を発展させるための一つの鍵は、新たな解析技術だと考えています。私は、「病気についての疑問の答えは、患者さんの中にある」と信じています。疾患の多様性や技術的な障壁のために、これまで埋もれていたような事実が、昨今次々と明らかになっています。これには新たな解析技術の登場が大きく貢献しています。ただ、日本の診療現場にドラッグ・ラグが存在するように、研究の場には“マシーン・ラグ”が存在していると感じています。私たちが新しい技術を手にする、その数年前に欧米では既にその技術が使われている、ということです。本来であれば日本でそういった技術が開発されれば良いのですが、残念ながら現状はほとんどの新規技術は欧米発であると言えます。ですから少しでも早く、新しい機器を導入することが日本の研究の底上げにつながると考え、そのラグを埋めるためにアメリカのベンチャー企業を訪ね歩くという作業もしています。多重免疫染色システムであるCODEXもそういう中でいち早く導入したシステムです。もちろん機器・技術が全てではありませんが、それらが研究に対してより大きなインパクトを持ちつつあるというのも明白な事実です。私のmentorである赤司先生は、「研究機器は、戦争における兵器のようなものだ」と仰っています。新しい機器の導入によって研究が大きく変わることを身をもって感じていらっしゃるので、こうした活動を全面的にサポートしてくださっています。

 医学研究は日々高度専門化しており、その手法は急速に多様化・発達しています。一つの現象を観察するにも、その手法は数多くあり、そしてそれぞれが非常に高度で習得にも時間がかかります。同時に、研究成果として発表する際の要求度は年々上がっています。そのため、医師養成課程を経て大学院に入っても、以前のように大学院の期間内に研究成果を挙げることが難しくなってきているのも事実です。私は、このような現状を目の当たりにして、私共のような臨床医学系講座(医局)が果たす役割は何なのかを考えてきました。患者さんに診療を行なう場である以上、そこには様々なニーズが生まれます。「難治患者に対する新規治療戦略」などのもっともらしいものばかりでなく、例えば、入院生活・外来通院中に患者さんが感じている不便さから、医師以外のスタッフが感じていて私たち医師が気付いていない「あったらいいな」まで、多種多様なものがアンメット・ニーズとして眠っている可能性があります。そして、これらのニーズそのものが、研究のシーズとなるのではないか、と考えています。ニーズを吸い上げ、トランスレートし、そしてそれに対する解決策を開発する、というサイクルを回すためには、職種の壁を越えたディスカッションが必要でしょうし、解決策の模索には医学部だけでなく多方面の知を集約させる必要があります。医局はこのような「場」として、そして医師は多様な人をつなげる「トランスレーター」として魅力的に機能し得るのではないか、と思います。これが私の描く医局の未来図であり、何かしらの形で貢献できれば良いな、と考えています。

 福岡の地に踏み入れて10年が経ちました。今回、普段することのない自分の人生を振り返る、という機会をいただいたことで、今日まで多くの上司、先輩、同僚に支えられ、そして導きがあってここにいるのだと、改めて感謝の気持ちを強く持ちました。そういった意味で、目立った実績もない私を、この「気鋭の群像」に選んでくださった編集委員の方々に心より御礼申し上げます。一遍に、とはいきませんが、これを機に御世話になった方々に少しずつ感謝を伝えていこうと思いました。

 今後については、臨床からは随分遠ざかっていますが、自分の原点は臨床であると思っています。なるべく早い時期に米国に留学し、留学後には臨床家に戻り、研究とのつなぎ役のような立ち位置になれればと考えています。好奇心が強く、新しいものが好きな私は、おそらく今後もひとところにとどまらず、いろいろなことに頭を突っ込んでいくような気がします。

2019年 白血病基金受賞記念講演会にて。左から、藤澤学先生(筑波大学)、赤司先生、私
2019年 白血病基金受賞記念講演会にて。左から、藤澤学先生(筑波大学)、赤司先生、私