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気鋭の群像Young Japanese Hematologist

染色体欠失部位から疾患責任遺伝子を同定
MDS/AMLの研究と臨床の両立を目指す(後編)

細野奈穂子(福井大学 医学部 血液・腫瘍内科 講師)

卒後6年目に大学院に進み研究生活へ
基礎の研究室でリサーチマインドが育つ

福井大学の細野奈穂子氏
福井大学の細野奈穂子氏

 初期研修2年目は福井赤十字病院で受け、神経内科、消化器内科、呼吸器内科など広く内科診療を学びました。当時は、肺がんと診断されれば緩和ケアという時代でしたが、白血病は抗がん剤で治ることに、ただただ「すごい」と感銘を受け、研修を終えたら血液内科の道に進もうと決めました。そして卒後3年目からは福井赤十字病院の血液内科に勤務しました。

 2002年4月からは2年間、倉敷中央病院(岡山県)の血液内科に勤務することになりました。当時、血液内科教授だった上田孝典先生の弟さんの上田恭典先生が同院血液主任部長を務めておられ、恭典先生の要請で転勤となったわけです。その後、倉敷中央病院での2年目の勤務のときに妊娠し、それを知ってかどうかは分かりませんが、孝典教授から大学院の入学願書が送られてきて「大学院に進んではどうか」との打診がありました。

 そして2004年4月に福井に戻り大学院に進学、8月に出産し、産休後から大学院に通い始めました。研究テーマは急性白血病における薬物耐性のメカニズムの解明で、白血病細胞の遺伝子異常が薬物代謝にどう影響するのか、約20種類の抗がん剤を白血病細胞に与え、効果があるかどうかを調べるという研究を始めました。

 研究が進むにつれ、分子生物学・分子遺伝学の面白さに惹かれ、教授にお願いをして、福井大学の基礎医学の教室(横田研)に見習いとして通わせてもらうことになりました。当時は、他の研究室に出入りすることは珍しく、押しかけ大学院生のような感じでした。そこで遺伝子導入のやり方などを一から学びました。学生時代のちょっといい加減な実験と全く異なり、正確なデータを得るために工程や機器などを厳密に管理・確認することを学び、ここで私のリサーチマインドが育ったと感謝しています。例えば、白血病細胞が、ある抗がん剤で細胞死した場合、本当に抗がん剤による効果なのか、実験に使ったチューブなど素材の影響はないのか、有機溶媒はどんな種類でそれによる細胞への影響を確認したのかなど、細部にわたり検証することが必ず求められました。子育てなどもあり、学位取得には時間がかかりましたが、その後の私の研究や臨床に大きな影響を受けた大学院生活でした。

米国でMDSを対象にした研究を始める
“名脇役”の遺伝子変異を次々に同定

 臨床に近い場所で研究を続けたいと考え、大学院にいるときから留学先を自分で探し始めました。大学院修了後の2010年4月から福井県立病院に勤務することになりました。同院でスタートしたばかりの腫瘍内科の診療体制を軌道に乗せることが目的で、2年間勤務しました。

 その間に米国・クリーブランドクリニックへの留学を決め、2012年から夫、子どもの3人で米国に渡りました。夫はスキーやスノーボードのメンテナンスの店を経営しており、冬に雪が降る場所なら一緒に行くということで、店を畳んでの渡米となりました。

 クリーブランドクリニックでの私のポジションは、Translational Hematology & Oncology 研究室のリサーチフェローで、ボスのJaroslaw P Maciejewski先生は「世界各国の女性研究者を集めて研究を進める」と意気込んでいました。当時クリーブランドクリニックには、牧島秀樹先生(現・京都大学腫瘍生物学講座)や村松秀城先生(現・名古屋大学小児科)がおられました。

 私の研究テーマはMDSの遺伝子変異で、次世代シーケンサーを駆使して、新たな遺伝子変異を探索することから始めました。しかし、大規模シーケンスの技術進歩により、この頃は標的となる候補遺伝子を同定せずに直接網羅的にシーケンスを行なえるようになっていて、MDSに関連する様々な遺伝子変異がすでに同定されていました。20世紀に同定されていたNRASやTP53、C-CBLに続いて、RNAスプライシングに関わるSF3B1、SRSF2、U2AF1、ZRSR2、DNAメチル化の制御に関わるTET2、DNMT3A、IDH1/2、ヒストン修飾に関わるASXL1やEZH2など、頻度が高く“主役級”の遺伝子変異は、ほぼ出そろっていました。

 そこで私は、頻度が高く予後不良となる染色体異常であるdel(5q)、−7/del(7q)における遺伝子変異に焦点を当てました。いわば“味のある助演男優、助演女優”の探索に取り組んだのです。その結果、CSNK1A1、G3BP1、DDX41、CUX1、LUC7L2などの名脇役の疾患責任遺伝子を突き止めました。クリーブランドでの研究生活は、私の第2子の出産があったこともあり、約2年半で終わりましたが、帰国して2015年には職場復帰し、血液・腫瘍内科の教員として、MDS/AMLの研究を続けました。

クリーブランドクリニックのラボの仲間とのランチ(左から5人目が私)
クリーブランドクリニックのラボの仲間とのランチ(左から5人目が私)

バッドニュースこそ直接伝えられる医師に
新しい治療に結びつく研究との両立も模索

 私は人と関わるのが好きで、今思えば、臨床医向きの性格だったのでしょう。こんな私が医学・医療の道に進むきっかけを作ってくれた高校時代の友人と元カレには、今も感謝しています。

 血液疾患の患者さんの予後は改善されたとはいえ、治療の過程でバッドニュースを伝えなくてはならないことも少なくありません。「そのときは、この私が、直接患者さんに伝えたい。そして患者さんに寄り添い、一緒に泣いたり笑ったりしながら歩みたい」といつしか思うようになりました。この気持ちは、血液内科医としての覚悟が定まった証なのかなと思っています。

 一方で、どうしても治療がうまくいかないという壁にぶつかるたびに、それを打破するような研究成果を出したいとも考えます。それは分子病態を解明して、完治や寛解を目指す治療法の開発とは限りません。例えば白血病は薬で治すことを目指していますが、薬で治らないこともあります。そういうときには、白血病細胞と闘わず、共存し、折り合いをつけられるような治療があってもいいと考えています。特に血液内科には高齢の患者さんが多く、今後はこうした考え方も必要であり、私たちはそうした時代に立ち会っていると思います。新しい発想で治療を構築していくのも、研究者の務めです。

 臨床医として患者さんのそばにずっといたい、でも患者さんのために研究も続けたい。葛藤がありますが、両方に関わるのが私のスタイルだと確信しています。