遺伝子治療の大きな可能性にいち早く注目
AAVベクター、CAR-T細胞療法など幅広い領域で研究続ける(後編)
小澤敬也(自治医科大学 名誉教授)
2022.03.24
小澤敬也(自治医科大学 名誉教授)
1953年長野県生まれ。77年東京大学医学部卒。79年東京大学医学部第3内科入局。80〜82年自治医科大学助手。85〜87年米国NIH留学。87年東京大学医科学研究所講師、90年同助教授。94年自治医科大学血液医学研究部門分子生物学講座教授に。98年自治医科大学血液学講座主任教授、分子病態治療研究センター遺伝子治療研究部教授(兼任)。2008年自治医科大学分子病態治療研究センターセンター長(併任)。11年同大免疫遺伝子細胞治療学講座教授(兼任)。14年東大医科研附属病院院長、同遺伝子・細胞治療センターセンター長、同先端医療研究センター遺伝子治療開発分野教授。18年自治医科大学名誉教授、客員教授、遺伝子治療研究センターシニアアドバイザー。このほか現在は日本医療研究開発機構(AMED)再生医療関係事業のプログラムスーパーバイザーとプログラムオフィサー、テルモ社外取締役などを務める。
AAVベクターでパーキンソン病の遺伝子治療
脚光を浴びるCAR-T療法への取り組みもスタート
もう1つのメインプロジェクトとして私が注目したのは、アデノ随伴ウイルス(AAV)由来のベクターでした。AAVは病原性を持たないため、ウイルス学的には大きな研究対象とはなっていませんでしたが、遺伝子治療用ベクターへの応用を考えると非病原性で安全であることは大きな利点でした。また、AAVはパルボウイルスの仲間で、これまでのB19ウイルスの研究で取り扱いに慣れていたということもありました。
このプロジェクトを開始するにあたって、NIH留学中に同僚であったギャリー・クルツマン博士の全面的な支援を受けました。同博士は当時AAVベクター開発に取り組む代表的ベンチャー企業の米国Avigen 社の副社長となっており、最新ベクターの作製システムやノウハウを全て提供してくれました。そのお陰で、ゼロからのスタートにもかかわらず、すぐに世界と戦える体制を整えることができました。また、私はAvigen社のSAB(サイエンティフィック・アドバイザリー・ボード)メンバーにも加えてもらい、この分野の世界的権威の研究者と一緒に議論する機会を得ました。
AAVベクターの特徴を生かした遺伝子治療の対象疾患としては、当時は血友病Bが第1候補に挙げられていました。私は自治医大では、伝統的にパーキンソン病の研究で有名な神経内科の吉田充男教授(当時)からお誘いがかかり、その遺伝子治療の開発に取り組みました。ラットやサルの実験で有効性が示され、2007年5月にわが国初のAAVベクター遺伝子治療を神経内科・脳神経外科と連携して行ない、成功しました。本来なら全国紙のトップを飾るほどの画期的なトピックスと思っていましたが、たまたまサルコジ氏がフランス大統領に選ばれたニュースとぶつかってしまい、一面に取り上げてくれたのは地元の下野新聞だけでした。
AAVベクターを用いた研究には多くの診療科の大学院生が参加し(学位論文作成のため)、様々な疾患を対象として前臨床研究が進みました。2004年には、英国大使館の主催で第1回UK-Japan Gene Therapy Workshop が英国・オックスフォード大学で、第2回が06年に東京で開催されました。英国サイドのまとめ役をマシュー・ウッド博士、日本サイドのまとめ役を私が担当しましたが、両国を代表する遺伝子治療研究者が参加しました。
がんに対する遺伝子治療としては、CAR-T細胞療法が脚光を浴びています。再発・難治性の急性リンパ芽球性白血病(ALL)に対して、CD19抗原を標的としたCAR-T療法により、70〜90%の完全奏効率という治療成績が報告され、製薬企業が競ってこの分野に参入してきています。私達も血液科病棟でこの治療法を早く始めたいと考え、メモリアルスローンケタリング癌センター(MSKCC)の研究者の協力を得て、11年にタカラバイオ社の寄附講座(現在は共同研究講座に変更)が自治医大に開設されました。CAR-T療法の臨床開発と治療成績向上のための研究を進めています。
このほか、間葉系幹細胞(MSC)を利用した細胞治療として、造血幹細胞移植後の急性移植片対宿主病(GVHD)に対する治療法の開発をJCRファーマ社と連携して行ないました。そして15年9月に、急性GVHDに対するMSC製剤(テムセルHS注)が世界で初めてフル承認されました。これを契機に、MSCに関する臨床研究が日本でも活発化してきています。
血液内科領域では「特発性造血障害調査研究班」班長という大任を果たす
東大医科研病院長を最後に務め、その後は研究の継続とAMEDの仕事を開始
大学での研究や診療の他にも、様々な活動に取り組んできました。2005年〜11年にかけては、厚労科研費(難治性疾患克服研究事業)「特発性造血障害に関する調査研究班」の班長を務め、11年に『特発性造血障害疾患の診療の参照ガイド』を改訂しました。その他、08年に『不応性貧血(骨髄異形成症候群)の形態学的異形成に基づく診断確度区分形態診断アトラス』、『輸血後鉄過剰症の診療ガイド』を発行しました。また、06年に特発性造血障害に関する調査研究班30周年記念国際シンポジウムを開催しました。
2010年には第16回日本遺伝子細胞治療学会学術集会、12年に第74回日本血液学会学術集会、15年に第7回血液疾患免疫療法研究会学術集会、17年にThe 8th ACTO(Asian Cellular Therapy Organization)Annual Meetingの会長を務めました。その他にも、自治医大で毎年のように国際シンポジウムを開催し、多くの海外招待演者を日光に案内しましたが、重要スポットは家康の遺訓が書かれた立て看板です。「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず─」(Life is like a long journey with a heavy load. Let your step be slow and steady ─)
その後は自治医大での20年に及ぶ研究と診療、教育ののち、2014年に古巣の東大医科研の附属病院長に就任しました。同時に、遺伝子・細胞治療センターを開設してそのセンター長、先端医療研究センター遺伝子治療開発分野教授を務めました。
18年4月に現役を引退してからは、自治医大名誉教授及び客員教授として、また新設の遺伝子治療研究センターのシニアアドバイザーとして、引き続きCAR-T療法を中心とした遺伝子治療の開発研究に携わっています。その他、AMED再生医療関係事業のPS(プログラムスーパーバイザー)、PO(プログラムオフィサー)として、研究活動の支援を行なっています。
私が若かった頃とは違い、血液内科の研究は難しい時代になっています。基礎研究は深いところまで掘り下げていかないと、新たな知見が得られにくくなっています。一方で、臨床現場では新規治療薬が次々と登場し、新しい情報も溢れるように押し寄せてきます。造血幹細胞移植も特殊な医療ではなくなり、日常的な治療法となっています。臨床の仕事だけでも充分満足できる時代で、臨床志向の若手が増えているのが実情です。さらに、基礎と臨床のいずれの場合も、一人では充分な仕事はできなくなっています。両方となれば益々大変です。多くの仲間とうまく連携することが重要です。血液内科では研究マインドを持ったフィジシャン・サイエンティストの活躍が望まれます。
海外留学は、研究的思考を醸成するいい機会であると同時に、グローバルな人脈を形成することができます。若手の皆さんには是非積極的に挑戦してほしいと思います。