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この人に聞くThe Experts

遺伝子治療の大きな可能性にいち早く注目
AAVベクター、CAR-T細胞療法など幅広い領域で研究続ける(前編)

小澤敬也(自治医科大学 名誉教授)

「この人に聞く」のシリーズ第17回は、自治医科大学名誉教授の小澤敬也先生にお話をうかがいました。東京大学卒業後、白血病コロニーの研究から出発し、パルボウイルスB19、G-CSF、ストローマ細胞などの研究に取り組み、自治医科大学では造血幹細胞遺伝子治療、AAVベクター遺伝子治療、間葉系幹細胞(MSC)治療などの基礎・応用研究、さらに最近ではCAR-T細胞療法の開発に力を注いでいます。「分子標的治療や造血幹細胞移植が発展し、臨床現場だけでも満足感が得られるかもしれないが、先端治療開発に向けた研究的思考も磨き続けてほしい」とエールを送ります。

小澤敬也(自治医科大学 名誉教授)

小澤敬也氏

1953年長野県生まれ。77年東京大学医学部卒。79年東京大学医学部第3内科入局。80〜82年自治医科大学助手。85〜87年米国NIH留学。87年東京大学医科学研究所講師、90年同助教授。94年自治医科大学血液医学研究部門分子生物学講座教授に。98年自治医科大学血液学講座主任教授、分子病態治療研究センター遺伝子治療研究部教授(兼任)。2008年自治医科大学分子病態治療研究センターセンター長(併任)。11年同大免疫遺伝子細胞治療学講座教授(兼任)。14年東大医科研附属病院院長、同遺伝子・細胞治療センターセンター長、同先端医療研究センター遺伝子治療開発分野教授。18年自治医科大学名誉教授、客員教授、遺伝子治療研究センターシニアアドバイザー。このほか現在は日本医療研究開発機構(AMED)再生医療関係事業のプログラムスーパーバイザーとプログラムオフィサー、テルモ社外取締役などを務める。

 東京大学医学部を卒業後、1979年第3内科に入局した私は、血液内科医として臨床医のスタートを切り、研究面では当初は造血コロニー形成法に取り組みました。80年に自治医科大学に一時的に異動し、当時話題だった白血病コロニー形成法を用いた研究や血液疾患の診療に明け暮れました。

 その後、米国国立衛生研究所(NIH)に留学し、造血障害ウイルスであるパルボウイルスB19の分子生物学的研究を行ないました。当時は遺伝子治療の創成期でNIHはその中心であり、元々、関心のあった私は遺伝子治療を研究テーマにしたいと考えるようになりました。帰国後、東京大学医科学研究所では、G-CSFに関する研究やストローマ細胞に関する研究を行ない、94年に再び自治医大に異動してからは、造血幹細胞遺伝子治療のための選択的増幅遺伝子(SAG)、アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター、キメラ抗原受容体発現T細胞(CAR-T)療法などを中心に、遺伝子治療の研究を進めてきました。

 2014年から東大医科研附属病院の院長として4年間勤務し、現役引退後は再び自治医大の名誉教授・客員教授として活動しています。血液内科医としてスタートしましたが、遺伝子治療をメインテーマに、これからも研究を続けていきたいと思っています。

2019年2月 自治医科大学 遺伝子治療研究センター(CGTR)設立記念キックオフ・シンポジウム
2019年2月 自治医科大学 遺伝子治療研究センター(CGTR)設立記念キックオフ・シンポジウム

大学卒業後、最初は白血病コロニー形成法を研究
米国・NIH留学ではパルボウイルスB19の研究に取り組む

 私は長野県の山あいの町で生まれ育ち、その後、松本深志高校から東大医学部に進学しました。年を取ってから山登りを再開し、北アルプスには毎年のように登っています。山岳写真を撮るのが目的で、できれば楽に登りたいのが本心です。

奥穂高岳から望むジャンダルム(撮影:小澤先生)
奥穂高岳から望むジャンダルム(撮影:小澤先生)

 医学部を卒業後、79年に東大第3内科に入局し、血液内科の診療・研究をする第6研究室(6研)を選びました。当時は、高久史麿先生が教授を務める自治医大が東大系では血液学の中心で、本家の6研は人が少なく研究活動は活発ではありませんでした。そこで、研究室に保存されていた昔の骨髄塗抹標本を片端から鏡検して形態学の基本を学びました。

 その頃、自治医大造血発生講座教授の三浦恭定先生から「助手の久保田先生が、2年間米国留学することになったので、その間、代わりを務めないか?ただし、久保田先生が帰ってきたら東大に戻ってほしい」と声が掛かりました。80年6月〜82年1月まで自治医大造血発生の助手として、当時話題だった白血病コロニーの研究を行ないました。

 その後、東大第3内科6研で診療と研究を継続していましたが82年7月に自治医大の高久先生が第3内科教授として戻られ、医局全体が活気づいていきました。しばらくして、私は米国・NIHに留学するのですが、受け入れてくださったのがNIHのニール・ヤング博士でした。彼は再生不良性貧血の専門家で、新進気鋭であり、同じ分野のリーダーであった高久先生を慕っていました。そしてヤング博士が来日した折に、私が京都などを案内して交流を続け、85年から87年までNIHに留学することになりました。

 NIHのClinical Hematology Branch では、ヤング博士は「好きなことを自由に研究してよい」という方針だったので、同僚のギャリー・クルツマン博士から分子生物学の基礎を学びながら、私は急性赤芽球癆を引き起こすパルボウイルスB19の研究に着手しました。ヤング博士がB19ウイルスによる赤血球造血の抑制について『Nature』に発表していたのですが、その先の研究を誰も行なっていなかったためです。このB19ウイルスのin vitro増殖系が存在していなかったことが研究の進まなかった原因と考え、まず、ヒト骨髄細胞を使ってB19ウイルスの増殖系を確立し、それを『Science』に発表しました。その当時はB19ウイルスを増やせる細胞株がなかったため、基礎系の研究者は手を出せない状況でした。私の場合はヒト骨髄細胞を使う実験系を駆使し、効率良く論文を量産することができ、約2年の留学期間で8本の論文をまとめました。海外生活は居心地が良かったのですが、長居をすると帰れなくなるケースもあるので、87年に帰国しました。

2012年12月 ニール・ヤング博士(2列目左から3人目)と留学メンバーの同門会
2012年12月 ニール・ヤング博士(2列目左から3人目)と留学メンバーの同門会

帰国後は東大医科研でG-CSFの臨床開発
自治医大で造血幹細胞遺伝子治療のためのSAG開発に挑む

 87年12月から東大医科研病態薬理学研究部の講師となりましたが、高久先生(東大第3内科)が医科研教授を兼務されたための振替ポストでした。90年に浅野茂隆先生が教授に昇任され、私は助教授になりました。当時は、造血因子とその受容体の研究が活発に行なわれており、私は浅野先生が推進していた顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)を用いた基礎・臨床研究に取り組みました。

 さらに、ストローマ細胞による造血因子産生とその発現調節機構に関する研究も進め、骨髄系細胞とストローマ細胞の接着の重要性などを明らかにしました。また、ストローマ細胞株の分化誘導系の樹立はその後もいろいろと役立ちました。

 94年に自治医大血液医学研究部門分子生物学講座の教授に就任し、98年には血液学講座主任教授(高久教授、三浦教授に続く3代目)となり、同時に分子病態治療研究センター遺伝子治療研究部教授を兼任しました。ここから私の遺伝子治療の研究に拍車がかかりました。

 最初に取り組んだのは造血幹細胞遺伝子治療のための選択的増幅遺伝子(SAG)の開発でした。当時は遺伝子導入効率が低いのが問題でしたので、それを克服するのが目的でした。遺伝子導入細胞を体内で選択的に増やす新しい細胞制御システムを開発し、それをSAGと呼びました。造血因子受容体の増殖シグナルを利用して体内で遺伝子導入細胞を人為的に増やす方法です。臨床応用としては、慢性肉芽腫症を恰好の対象疾患候補と考えました。この疾患では修復しただけの血液細胞には体内での選択的優位性がなく治療効果が出にくいこと、SAGシステムを働かせると、造血前駆細胞レベルでの一過性増幅ではあるものの、感染症併発の際に一時的に修復好中球を増やせることは臨床的に意義があると考えたのがその理由です。

 この研究は、日韓共同の研究会へと発展し、JMS-SNU Gene Therapy Meetingが2002年(栃木)、2003年(ソウル)、2005年(栃木)で開催されました。韓国サイドの代表者はサンヤング・キム博士でした。

 ただし、フランスで行なわれたX連鎖重症複合免疫不全(X-SCID)に対する造血幹細胞遺伝子治療は際立った成功例として脚光を浴びましたが(2000年)、約2年半後にその患者が白血病を次々と発症し深刻な問題となりました。その後は世界的に遺伝子治療研究が停滞し、我々のSAGプロジェクトもサルの実験までで、臨床試験には進めませんでした。

2002年 自治医科大学で開催された第1回JMS-SNU Gene Therapy Meeting
2002年 自治医科大学で開催された第1回JMS-SNU Gene Therapy Meeting

〈後編では、AAVベクターを用いた遺伝子治療の臨床研究や現在のお仕事内容についてお話しいただきました。〉