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この人に聞くThe Experts

NK細胞と出合い、腫瘍研究の道へ
「血液学はいつまで経っても面白い」(後編)

押味和夫(つるい養生邑病院 内科)

2018.11.22

押味和夫(つるい養生邑病院 内科)

つるい養生邑病院の押味和夫氏

1944年福島県生まれ。1971年東京大学医学部卒業後、1972年7月米国で内科インターン、1973年レジデントに。1974年7月東京大学医学部附属病院第三内科医員。1974年11月自治医科大学アレルギー膠原病科助手、1978年4月同講師。1980年10月東京女子医科大学血液内科講師、1988年2月同助教授、1992年8月同教授。1994年4月に順天堂大学医学部血液内科教授。2008年より、米国エーザイの研究所で抗がん剤の開発に従事。帰国後、北海道阿寒郡鶴居村に移住。地元の2つの病院で非常勤の医師として勤務しながら、釣りやカヌーを楽しんでいる。

94年に順天堂大学血液内科の初代教授に
「よく遊び、よく学べ」を医局のモットーに

 1992年8月に東京女子医大血液内科の教授に就任し、その約2年後の1994年4月に14年間勤めた女子医大を辞して、順天堂大学血液内科の初代教授に赴任しました。

 当時は今ほど医局員が多くなく、全員一丸となって診療に当たっていましたが、あまりにも忙しくてみんなの顔が引きつっていました。「これでは若い医師は入局してこないから、もっと楽しく仕事しているような振りをしよう」と医局員を誘って海釣りに行くことにしました。子どもの頃、福島の川や沼でよく釣りをした思い出が蘇ったからです。

 それをきっかけに、医局のモットーは「よく遊び、よく学べ」になりました。医局旅行でも熱海や伊豆に行ったときは、皆で海釣りを楽しみました。ある年の医局旅行で軽井沢へ行ったとき、旅館の大広間に、内村鑑三が書いた「よく遊び、よく学べ」という額が飾ってありました。これを見た私は「我が意を得たり」とニヤリとしたものです。

 私自身は、引き続きNK細胞の研究を続けるとともに、臨床でも、NK細胞リンパ腫、アグレッシブNK細胞白血病などのNK細胞腫瘍や顆粒リンパ球増多症に興味を持って診療を続けました。

 血液内科は、若手医師が少しずつ増え、診療も研究も充実していきました。悪性リンパ腫の病理については、月に2回、東大医科学研究所の森茂郎教授にご指導いただいたおかげで、リンパ腫への理解が一段と深まりました。

 ライフワークであるNK細胞腫瘍の研究は、新しい治療法の開発へと発展しました。製薬会社にいた友人にお願いしてスポンサーになってもらい、「NK腫瘍研究会」を立ち上げ、正常NK細胞やNK細胞由来の悪性リンパ腫や白血病について、国内外から専門家を呼んで話を聞きました。その後、一緒に会を立ち上げた河敬世先生、中村栄男先生が、「NK腫瘍治療の臨床研究をやろう」と提案してきました。私はそこまで考えていませんでしたが、順天堂大学で試行錯誤してきたNK細胞リンパ腫の多剤併用化学療法のプロトコールを基に、加納康彦先生に5種類の抗がん剤の投与順と投与量を決めてもらい、日本だけでなくNK細胞腫瘍の頻度の高いアジア地域で第Ⅰ相試験を始めることにしました。

 ここから、若手研究者の活躍が始まります。鈴木律朗、山口素子、鈴宮淳司、石田文宏、伊豆津宏二、竹内賢吾らの諸先生が治療プロトコールを立案し、英語に翻訳し、香港や韓国の医師と連絡を取りながら臨床試験を開始しました。これが5種類の抗がん剤の頭文字から付けたSMILE療法(ステロイド、メトトレキサート、イホスファミド、L-アスパラギナーゼ、エトポシド)です。私は、SMILEというネーミングから、この臨床試験は絶対に成功する、世界へ向けた新しい治療法が発信できると確信しました。試験は予想以上に早く進み、素晴らしい治療成績が得られました。「米国をやっつけたぞ」というほどではありませんが、アジアがまとまって世界に通用するプロトコールを完成させたのです。

2004年の第8回NK腫瘍研究会の幹事会で、初めてSMILE療法のプロトコールが議論された。前列中央右が押味氏
2004年の第8回NK腫瘍研究会の幹事会で、初めてSMILE療法のプロトコールが議論された。前列中央右が押味氏

初期の造血器腫瘍を患い、職を辞し再び米国へ
自然豊かな環境で釣りと研究の日々

 順天堂大学に勤めている頃、母親から「実家近くに釣り上手の米国人が住んでいる」と聞き、早速訪ねてみると、アラスカで釣りのガイドをやっている人であることが分かりました。彼がガイドしたアラスカで、郷里の人たちが大きな鮭を釣り上げた写真を見て、「私も行こう」と決めました。この出会いをきっかけに、毎年7月末になると1週間、アラスカのロッジに泊まったり、山奥の川をゴムボートで下ってテントに泊まったりしながら、鮭などを釣ることが最高の楽しみになりました。アラスカがあるから、忙しい仕事も続けられたと思います。本物の釣りキチになりました。

 ところが、私自身がごく初期の造血器腫瘍であることが判り、2008年に退職しました。エーザイの厚意で米国・ボストンにあるエーザイの研究所で抗がん剤の開発に従事しながら、Dana-Farber Cancer Instituteの外来に通いました。幸い進行は遅く、日本で使える薬も増えたため、3年半で帰国できました。

 帰国前の4カ月は、車にカヌーを積んで、妻と一緒にボストンからロッキー山脈を経てカナダ、そしてアラスカまで放浪しました。湖畔の1泊15ドルのキャンプ場にテントを張って泊まり、体が臭くなってきたら、街に出てシャワーを浴び、洗濯をし、食糧を買い込んでキャンプ場に戻るという暮らしでした。数十年前、あれほど嫌いだった米国が、楽しい素敵な国なんだ、と思い直しました。

 2011年秋に帰国したときには、人が多くてごちゃごちゃした東京には住めなくなっていました。広くて自然が豊かな住み処を求めて、北海道、それも道東に住むことにしました。釧路空港から車で40分、釧路湿原の西側にある鶴居村です。文字通り丹頂鶴が住み、牧場が広がり、イワナやヤマメが釣れる川があります。

 そして、道東は医療過疎の地なので、少しでも地元の役に立てればと思い、非常勤で診療を続けています。週2日はつるい養生邑病院で内科外来、もう1日は釧路労災病院で血液内科の外来診療を続けています。

 NK腫瘍研究会の仲間とは、今もつながっています。鶴居に遊びに来た鈴宮淳司先生が「ここでリンパ腫の研究会をやりましょう」と提案され、彼が塾頭になり、私が事務局を担当し、「Tsurui Lymphoma Workshop」を始めました。2014年夏に第1回の研究会を開きました。モットーはここでも「よく遊び、よく学べ」です。

 夏の週末の木曜夕方からの3泊4日の研究会で、1日目、2日目は勉強、3日目は1日中「野外実習」で、4日目の日曜の午前に終了します。勉強のテーマは、リンパ腫発症の分子機構から最新の治療まで幅広い分野にわたります。若い先生に、事前に与えたテーマについて発表してもらうのですが、驚くほどレベルが高く、私自身が一番勉強になっています。

 日常診療では、血液検査で異常が認められた患者さんの紹介が少なくありません。先日、白血球増加と脾腫がある患者さんが紹介されてきました。ヘアリーセル白血病を疑い、いろいろ調べたところ、末梢血はhairy cell leukemia, Japanese variantの所見と一致し、脾はsplenic diffuse red pulp small B-cell lymphomaでしたので、この2つの疾患は同一疾患なのではないかと思うようになりました。ただし、この推論を立証するには多くの患者さんで遺伝子レベルの検査が必要ですが。

 T細胞性LGL白血病という疾患があり、WHO分類でもこの名称が使われていますが、これまでの多数例での経験から、この疾患は白血病ではなく、B細胞系のMGUSに似たT細胞系の疾患と思っています。WHOのネーミングは間違っていると信じています。

 医師として、自分のところに来た患者さんは何としてでも治したいと思っています。そのためには、最新の血液学を常にキャッチアップしていく必要があります。自然に囲まれ、釣り三昧の生活を送っていますが、新しい論文には出来る限り目を通しています。患者さんを診て、最新の知見を得ることで、常に新しい発見があります。血液学はいつまで経っても面白いです。

 血液内科は、昔から忙しい診療科でした。厳しいトレーニングがあり、それを体で覚えるための体力も必要です。しかし、血液学の面白さが分かれば、やめられない……。そんなふうに私は思っています。

2017年、第4回Tsurui Lymphoma Workshop
2017年、第4回Tsurui Lymphoma Workshop