多発性骨髄腫の診療と研究に42年
治らないから「治る」までの進化を見つめる(前編)
鈴木憲史(日本赤十字社医療センター 骨髄腫アミロイドーシスセンター長)
2018.04.05
臨床や研究に長年取り組み、数々の功績を上げてきたエキスパートを紹介する「この人に聞く」。シリーズ第2回は、日本赤十字社医療センター骨髄腫アミロイドーシスセンター長の鈴木憲史氏にお話をうかがった。鈴木氏は、新潟大学医学部を卒業後、日赤医療センターで医師としての仕事を始め、大学院にも通いながらも一貫して同センターで血液疾患、中でも多発性骨髄腫(MM)の診療と研究に取り組んできた。MMが不治の病である時代から、生存期間の延長、そして治癒が期待できる疾患に至るまでの臨床現場の進化を見つめてきた鈴木氏が、MMに取り組んだきっかけ、MMの現状と今後についてお話をうかがった。
鈴木憲史氏(日本赤十字社医療センター 骨髄腫アミロイドーシスセンター長)
1950年埼玉県生まれ。76年新潟大学医学部卒業後、日本赤十字社医療センター内科研修医に。78年東京医科歯科大学医学部大学院専攻科入学。82年東京大学医学部第3内科(血液学専攻)の研究生に。90年日赤医療センター第2内科副部長、95年同第2内科部長。2012年同センター副院長。14年薬剤部長兼務。16年骨髄腫アミロイドーシスセンター長。日本内科学会内科指導医・総合内科専門医・評議員、日本骨髄腫学会理事、日本免疫治療学研究会理事などを務める。
1976年に医学部を卒業して、すぐに日本赤十字社医療センターに勤務し、以来42年間、ほぼこの病院で血液内科医として診療と研究を続けてきました。医師になった当時は、造血器腫瘍で若い人が次々に亡くなっていて、何とかして患者さんを救いたいと思いました。その気持ちは今も全く変わりません。
研修医1年目にMGUSに出合い興味
治療困難な多発性骨髄腫に挑む
日赤医療センターの研修医1年目、多発性骨髄腫(MM)と診断されて血液内科に入院した患者さんがいました。発熱などの症状があり、IgGなどのM蛋白がみられたからです。しかし骨病変がなく、臓器障害もみられないことから、私は「これは意義不明の単クローン性ガンマグロブリン血症(MGUS)だ」と直感しました。このとき、MGUSの病態、メカニズムに興味を抱きました。そして、ほとんど症状のないMGUSから、年1%程度の人がMMに移行するのはなぜか、骨病変や臓器障害を来すようになるのはなぜかと、MMという疾患に徐々に強い関心を持つようになりました。
血液内科の先輩や上司からは、MMは「治せない病気だ」「体力勝負になる」「出世できない」など、さんざんなことを言われました。悪性リンパ腫の診療をしている友人の医師は「そんな辛気臭い病気を相手にするなんて」と半ば呆れていました。
当時の血液内科では、悪性リンパ腫が少し治る程度、白血病はほとんど治りませんでしたが、その2つが診療と研究の花形領域でした。一方、MMは治療法すらなく、患者さんも短期間で亡くなってしまい、血液内科医の関心も薄い領域で、日本でMMに取り組む医師は30人程度だったと思います。
しかし、私には静かな闘志が湧いていました。例えば、MMが9割治る病気だったら、私にはつまらなく思えたかもしれません。「治らない病気を治す」方が面白い。治療が困難な分野だからこそ、楽しくやりがいがあると感じたのです。
医師になって3年目、1978年に東京医科歯科大学の大学院専攻科に進みました。研究テーマはMMやMGUSと関連のある老化に伴う免疫系の変貌に関する「老化と免疫」です。当時、東京都老人病総合研究所が「老化」の研究費を2億円用意し、それを骨粗鬆症、褥瘡、免疫、認知症の4分野に振り分けるというプロジェクトが始まったところでした。私たちのグループもその研究費の一部を使い、研究を始めました。
今では常識となっていますが、老化により免疫機能が低下することで、高齢者の心身にはさまざまな問題が起きることが明らかになり、それは造血器腫瘍と密接に関わっています。82年には東京大学第3内科の血液学専攻の研究生になり、免疫と造血器腫瘍の研究を続けました。
そして、84年に日赤医療センターに戻り、主にMMの診療と研究に明け暮れる生活となりました。今に続く道ですが、想像以上に困難な道でもありました。