染色体解析、分子遺伝学の研究に取り組み続ける
FISH法をいち早く造血器腫瘍の診断に応用(後編)
谷脇雅史(一般社団法人愛生会 山科病院 理事長、京都府立医科大学 名誉教授・血液内科学 客員教授)
2024.07.18
谷脇雅史(一般社団法人愛生会 山科病院 理事長)
1950年高知県生まれ。1969年私立土佐高等学校卒業、1976年3月京都府立医科大学卒業。同年4月同大附属病院第三内科勤務。78年4月国民健康保険蒲生町病院、79年4月府立医大病院第三内科、83年4月より京都府立与謝の海病院内科勤務、府立医大助手を併任。90年10月〜91年12月ドイツ・ハイデルベルク大学人類遺伝学研究所に留学。92年4月より京都府総括調整室職員課に産業医として勤務。97年京都府立医大第三内科学 講師、99年12月血液内科 診療科長。2003年1月同大分子病態・検査医学 教授、05年11月に内科学教室血液・腫瘍内科学部門の初代教授に。16年4月同大 名誉教授、分子診断・治療センター 特任教授。21年6月愛生会山科病院 理事長。24年4月京都府立医大血液内科学 客員教授。第30回日本骨髄腫研究会(現・日本骨髄腫学会)学術集会会長、第53回日本リンパ網内系学会学会長を務める。
インドでFISH法の技術指導をしたこともあります。JICAの専門員として、ラクナウのSanjay Gandhi医学研究所に2週間ほど滞在し、このプロジェクトでは北潔先生、服部幸夫先生らと知り合い、のちに共同研究も行ないました。
2005年に血液・腫瘍内科学の初代教授に就任
苦しい時期を乗り越え新薬を含む治験は約100件
府立医大の3つの内科学教室では、それぞれに多くの業績を上げていましたが、当時の医局制度のもとでは、教室間の連携はほとんどありませんでした。ただ、衛生学教室での研究では、各内科学教室や診療科の区別なく盛んに交流し、これはのちの血液・腫瘍内科学教室の礎となりました。
大学の教室の体制が大きく変わり始めたのは、臓器別診療(division化)が始まった99年12月からでした。血液内科の外来診療は一体化しましたが、母体となる3つの内科学教室はそのままという、整合性を欠く体制が2005年11月まで6年間も続きました。
私は99年に、血液内科診療科長として血液内科の外来診療を統括する立場となり、2003年1月には分子病態・検査医学教室の教授に就任しました。内科学の教室の再編も進めました。大学院重点化の流れや新臨床研修制度が始まる中で、府立医大でも医学教育の重要性が認識され、新しい教室を「医学教育学教室」か「血液・腫瘍内科学教室」とするかの議論が交わされ、その結果、血液・腫瘍内科学教室の新設が決まり、私が初代の教授に就任することになりました。
発足当時の教室員は14人でしたが、1年後には10人まで減り、苦しい時期が続きました。病院長の配慮により病床数を42床から38床に減らし、医療安全を確保しました。その後は大学院生の入局が増加し教室員も増え、多くの患者さんを受け入れられるようになりました。
新薬の治験も積極的に実施しました。臓器別診療が始まった1999年頃からイマチニブ、私も治験に参加したリツキシマブなどの分子標的薬が次々に開発されるようになりました。その頃、第三内科出身の芹生卓先生が外資系製薬会社の臨床開発部長を務めており、経口フルダラビンとゼバリンの治験を依頼され、真剣に取り組みました。
これをきっかけに、ベンダムスチンなどの新規治療薬の治験を次々に行ない、血液・腫瘍内科学教室設立後は治験依頼が急増、臨床第Ⅰ相、第Ⅱ相試験を中心にグローバル試験も含めて約100件の治験を行ないました。結果は『J Clin Oncol』 や『NEJM』などに発表され、新薬開発の治験は教室の重要な臨床研究の一つとして位置づけられました。
JCOG、JALSGを参考にKOTOSGを設立
患者と頻繁に接し自分を磨くことが大切
第三内科では、1990年設立の日本臨床腫瘍研究グループ(JCOG)、1987年設立の成人白血病治療共同研究機構(JALSG)の初期から参加してきました。JCOGでは堀田知光先生に、JALSGでは大野竜三先生に多くのご指導をいただきました。これまで多数の治験を実施することができたのは、これらの活動が出発点になっています。
JCOGとJALSGを通じて得た知識や経験をヒントに、2010年に「京都血液臨床研究グループ(KOTOSG:Kyoto Clinical Hematology Study Group)」を設立しました。これは血液診療に関わる様々なリアルワールドの課題を解決するための組織で、京都と古都の語呂合わせでネーミングしました。血液診療の実態を明らかにし、課題解決に向けて共に歩むことで、京都府と近郊地域で、地域や施設間の格差のない高水準の血液診療の実現を目指しています。こうした過程を通じて、関連組織の血液内科医師の生涯教育と血液医療環境の拡充を図ることも狙いの一つです。
代表は京都府立医大血液・腫瘍内科学教授が務めることになっており、現在は第2代教授の黒田純也先生が代表者です。参加施設は、京都府立医大をはじめ、京都第一赤十字病院、京都第二赤十字病院、京都鞍馬口医療センター、大津市民病院、市立福知山市民病院、近江八幡市立総合医療センター、松下記念病院、愛生会山科病院の9施設です。これまでにMM、リンパ腫などに関する31編の英文原著を発表しています。
2009年1月には血液・腫瘍内科学教室の同門会が設立されました。2005年の開講以来、毎年1月に新年会を兼ねて同門会を開き、過去1年の報告をしてきたこともあり、開講4年を機に正式な組織として立ち上げました。現在、同門会とKOTOSGは両輪のように機能しています。
2016年に退職し、その後は、府立医大分子診断・治療センター特任教授を23年3月まで務めました。21年には愛生会山科病院の理事長に就任しました。そしてこの4月には当院に「山科血液疾患診療ユニット」が開設されました。KOTOSGの一員としての機能を強化し、地域医療に貢献する核となることを目指しています。大学病院などでは診療が難しい高齢患者さんを積極的に受け入れ、若年者の急な発症に対しては、速やかに診断・初期治療を行なっています。同種造血幹細胞移植やCAR-T療法が必要となれば、府立医大関連施設と連携を取って迅速に対応しています。ユニットの開設に向けては、黒田教授に助言をいただき、兼子裕人院長が熱心に取り組み、血液内科のスタッフが協力してきました。ユニット長には経験豊かな志村和穂血液内科部長が就きました。府立医大血液内科から多数の非常勤医師を派遣していただき、各部門の専門スタッフと協力し、全人的な血液内科診療を提供しています。
当院で診療することは、これまで研究に多くの時間と労力を傾けていた私の恩返しと思っています。大学病院で診ていた患者さんが寛解して、当院で再会したときには、私も嬉しくなりました。今後は、ユニットでの研究にも微力ながら貢献したいと考えています。
近年は、全国どこでも不足していると言われる血液内科医ですが、血液学の道に進んだ若手医師・研究者には、“文系力”を磨いてほしいと願っています。まず、研究については独創的な発想が求められることは当然ですが、何のために研究するのか、その研究は良いことなのか悪いことなのかを常に考える必要があるからです。例えば、原爆の研究者はそういうことをあまり突き詰めなかったのではないかと想像しています。臨床では、頻繁に患者さんと接してその人が考えていることを想像するという習慣も大切です。いずれも“文系力”を磨く必要があります。
人生とは何か、医療とは何かなどについて考え続けることが、医師や医療者には求められていると思います。