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この人に聞くThe Experts

染色体解析、分子遺伝学の研究に取り組み続ける
FISH法をいち早く造血器腫瘍の診断に応用(前編)

谷脇雅史(一般社団法人愛生会 山科病院 理事長、京都府立医科大学 名誉教授・血液内科学 客員教授)

「この人に聞く」のシリーズ第21回は、愛生会山科病院理事長の谷脇雅史氏にお話をうかがいました。京都府立医科大学を卒業後の研修医時代に白血病で亡くなる多くの若い人の診療を経験し、「血液疾患の患者を治したい」との思いを抱き血液の道に進みました。FISH法の開発を進める阿部達生氏に師事し、いち早く臨床応用につなげ、その後も染色体の研究を深く追究しました。「研究は何のためにするのかを問い続けてほしい。そのためには“文系力”を磨くことが大切だ」と話します。

谷脇雅史(一般社団法人愛生会 山科病院 理事長)

谷脇雅史氏

1950年高知県生まれ。1969年私立土佐高等学校卒業、1976年3月京都府立医科大学卒業。同年4月同大附属病院第三内科勤務。78年4月国民健康保険蒲生町病院、79年4月府立医大病院第三内科、83年4月より京都府立与謝の海病院内科勤務、府立医大助手を併任。90年10月〜91年12月ドイツ・ハイデルベルク大学人類遺伝学研究所に留学。92年4月より京都府総括調整室職員課に産業医として勤務。97年京都府立医大第三内科学 講師、99年12月血液内科 診療科長。2003年1月同大分子病態・検査医学 教授、05年11月に内科学教室血液・腫瘍内科学部門の初代教授に。16年4月同大 名誉教授、分子診断・治療センター 特任教授。21年6月愛生会山科病院 理事長。24年4月京都府立医大血液内科学 客員教授。第30回日本骨髄腫研究会(現・日本骨髄腫学会)学術集会会長、第53回日本リンパ網内系学会学会長を務める。

 1976年に京都府立医科大学を卒業し第三内科に入局後、白血病で亡くなる患者さんを治したいという気持ちから血液学の道に進み診療に明け暮れる中、阿部達生先生と出会い、研究の道に進むことになりました。阿部先生は、染色体分染法とFluorescence in situ hybridization(FISH)法の開発の草分けで、私も染色体の特定遺伝子の異常を可視化する研究に取り組みました。

 ドイツ留学で人工酵母染色体(YAC)を用いたFISH法開発に参加し、その中で温めていた、リンパ系腫瘍の染色体研究への応用というアイデアを帰国後に実現しようと考えました。当時、免疫グロブリンH鎖遺伝子(IGH)の全塩基配列決定に取り組まれていた京都大学の本庶佑先生と松田文彦先生から、YACクローンをいただき、それをもとにIGH転座を検出するFISH法の系を確立しました。

2016年 広島大学原医研セミナー(第178回)終了後のナイトサイエンス。Professor Thomas Cremerと。
2016年 広島大学原医研セミナー(第178回)終了後のナイトサイエンス。Professor Thomas Cremerと。

 これらの研究を通じて、血液学だけでなく病理学や人類遺伝学の研究者に多くの知己を得て、研究の幅はさらに広がっていきました。その後も染色体や分子遺伝学の研究を進め、京都府立医大分子病態検査医学教授を経て、2005年に血液・腫瘍内科学の初代教授に就任しました。2016年に京都府立医大を退職、分子診断・治療センター 特任教授として研究を継続しました。2021年に現在の愛生会山科病院の理事長となり、病院経営に参画していますが、京都府立医大血液内科学客員教授として週1回の外来も担当させいただいています。2024年4月に当院に「山科血液疾患診療ユニット」が開設されました。その一員として専門性を生かし、微力ですが地域のお役に立てればと考えています。

 多くの指導者、先輩、同僚、後輩、国内外の研究者に恵まれ、その交流を通じて、好きな研究に夢中になって取り組むことができました。皆さんにお礼を申し上げるとともに、私を支えてくれた家族、親族には、心からありがとうと言いたいと思います。

高知の中高一貫校から京都府立医大に
第三内科に入局、診療・研究のパワー感じる

 私は高知県で生まれ育ち、小学生時代は父親の人事異動で県内を転々とし、3度も転校しました。その後、私立土佐中学・高校へ進みました。家族や親戚に医師はいませんでしたが、父からは「医者か弁護士になれ」とよく言われました。ただ、子どもの頃から扁桃腺炎で何度も高熱の経験があり、医師は身近な存在で自然と医師を目指すようになりました。

 高校を卒業する1969年は大学紛争真っ只中で、東京大学の入学試験が中止となるなど、受験生には受難の年でした。私は、二期校の信州大学を受験後の松本から高知への帰途、京都府立医科大学の附属病院に勤める看護師の叔母のもとに立ち寄りました。高知から松本までは、宇高連絡船と汽車を乗り継いで丸1日かかったように記憶していますので、松本から京都まで10時間くらいは列車に乗っていたと思います。このとき、初めて京都府立医大の存在とその歴史を知りました。そして、京都府立医大を志望し、70年4月に入学しました。教育に力を入れて育ててくれた両親に感謝しています。

 医学生のときから内科を志望しており、76年の卒業後は、当時3つあった内科(第一、第二、第三)のうち、自由な雰囲気を感じた第三内科に入局しました。第三内科では消化器、血液、循環器、糖尿病、神経の診療を行なっていました。中でも、消化器内科は、当時の最新機器である内視鏡による診断と治療を行ないこの分野のパイオニアと目され、パワーのある医局でした。

 附属病院での2年間の研修ののち、78年4月から国民健康保険蒲生町病院で1年間勤務し、79年4月から再び附属病院の修練医として勤務しました。卒業後の附属病院での2年間の研修では、白血病やリンパ腫で亡くなる若い患者さんが多く、「何とか助けたい、治したい」と強く思い血液内科医として診療に明け暮れました。一方で、白血病などの造血器腫瘍の病理にも興味を持つようになりました。

 当時、基礎の公衆衛生学教室と第三内科学教室は、共同で血液疾患の診療と研究、固形がんの化学療法を活発に進めていました。私はそこで、のちに衛生学教室の教授となる阿部達生先生と出会いました。第三内科出身で、公衆衛生学助教授であった阿部先生が、血液内科と化学療法の外来を担当されていたからです。この出会いが、血液内科医としての私の道を決めることになりました。

FISH法の草分け、阿部達生氏に師事し研究の道に
京都府の産業医時代の2年間は研究に没頭

1991年 Cremer研究室のメンバーとオランダの人類遺伝学会に出席。左から一人おいて、Thomas Cremer(現ミュンヘン大学人類学・人類遺伝学教授)、Michael Speicher(現:グラーツ医科大学人類遺伝学研究所教授)、Anna Jauch(現:ハイデルベルク大学人類遺伝学研究所教授)。
1991年 Cremer研究室のメンバーとオランダの人類遺伝学会に出席。
左から一人おいて、Thomas Cremer(現ミュンヘン大学人類学・人類遺伝学教授)、Michael Speicher(現:グラーツ医科大学人類遺伝学研究所教授)、Anna Jauch(現:ハイデルベルク大学人類遺伝学研究所教授)。

 阿部先生は染色体検査の開発に取り組んでおられ、特にGバンドなどの分染法とFISH法の研究・開発の草分けでした。私は阿部先生から「染色体の研究をしないか」と声を掛けられましたが、最初はお断りしました。診療だけで手一杯という気持ちだったからです。しかし、阿部先生は当時兼任していた保健所長の仕事が終わると、研究室に戻り一人で研究を進めていきました。私はその姿を見て一緒に研究したいと思い、染色体の研究に取り組むことにしました。阿部先生を恩師と慕うはじまりです。

 附属病院での診療、医局での研究という生活を続けたのち、83年からは京都府立与謝の海病院の勤務になると同時に、府立医大助手を併任しました。研究はその間も続け、86年1月に学位を取得、同年4月から府立医大に戻りました。この年の11月に阿部先生は衛生学教室の教授となり、府立医大の血液学はさらに発展し、私も染色体の研究に没頭するようになりました。

 90年には日本網内系学会(現・日本リンパ網内系学会)に初めて参加し、悪性リンパ腫と多発性骨髄腫(MM)の研究と診療に大きな興味を覚えました。当時、阿部先生の指導によりB細胞性腫瘍の染色体研究に取り組み始めたばかりだったからです。

1992年 御訪問いただいた恩師阿部達生京都府立医科大学名誉教授(前列右)と稲澤譲治東京医科歯科大学名誉教授・統合研究機構リサーチコアセンター特任教授(左から2人目)。ハイデルベルク城で研究室の同僚と共に。
1992年 御訪問いただいた恩師阿部達生京都府立医科大学名誉教授(前列右)と稲澤譲治東京医科歯科大学名誉教授・統合研究機構リサーチコアセンター特任教授(左から2人目)。ハイデルベルク城で研究室の同僚と共に。

 90年10月から、ドイツ・ハイデルベルク大学に1年間留学し、人類遺伝学研究所のThomas Cremer 先生の研究室で、YACを用いるFISH法の開発に参加しました。留学中に14q+とその転座相手の染色体をYAC-FISHによって検出するというアイデアを温め、帰国後にリンパ系腫瘍の染色体研究に応用しました。そして、当時、京都大学の本庶佑先生と松田文彦先生から、IGHのYACクローンをいただき、そのYACをAlu-PCRを用いてプローブにすることに成功し、IGH転座を検出するFISH法の系を確立しました。これは、現在、MMの診断では欠かせない検査となっています。この研究成果をもとに『Blood』誌に6編の論文を発表しました。

 92年4月からは、京都府総括調整室職員課に初代の産業医として勤務することになりました。附属病院の診療に関わらない立場なので、勤務時間が終わると医局に向かい、研究に没頭するという生活を2年間送ることができました。

1997年 DNA fiber FISHによるCCND1(PRAD1)遺伝子の検出(Takashima T et al. Int J Cancer. 1997 Jul 3; 72(1): 31-38)。コスミドクローン CPP29(TRITC、赤)、CPP4(FITC、緑)は、愛知県がんセンター 瀬戸加大先生より供与。
1997年 DNA fiber FISHによるCCND1(PRAD1)遺伝子の検出(Takashima T et al. Int J Cancer. 1997 Jul 3; 72(1): 31-38)。コスミドクローン CPP29(TRITC、赤)、CPP4(FITC、緑)は、愛知県がんセンター 瀬戸加大先生より供与。

 FISH法の研究を通じて、多くの研究者と知り合うことができました。FISHは方法と解釈において病理学との相性が良かったことから、中村栄男先生、吉野正先生、瀬戸加大先生ら病理学や分子生物学の研究者はもちろん、FISH法が遺伝子マッピングに欠かせないことから、人類遺伝学の研究者の知己も得られました。FISH法による遺伝子マッピングの草分けは、同僚の稲澤譲治先生であることは皆さんもよくご存じだと思います。

 94年には、本庶先生の研究室からの依頼でマッピングした遺伝子の一つにPD-1遺伝子がありました。アポトーシスに関連する分子で、その後はご存知のように、抗PD-1抗体の免疫チェックポイント阻害薬の開発につながっています。 このように、研究が続けられたのも、FISHの技術を高く評価していただき、厚生省がん研究の班員に加えていただいた尊敬する上田龍三先生のお陰だと思っています。

2013年 第53回日本リンパ網内系学会(国立京都国際会館)の懇親会。左2人目から吉野正教授、私、Prof. Randy Gascoyne(British Columbia Cancer Agency)。右から大島孝一福岡大学病理学主任教授、中村栄男名古屋大学名誉教授、谷本光音岡山大学名誉教授、Prof. Owen A. O’Conner(Columbia University Medical Center)。
2013年 第53回日本リンパ網内系学会(国立京都国際会館)の懇親会。
左2人目から吉野正岡山大学名誉教授、私、Prof. Randy Gascoyne(British Columbia Cancer Agency)。右から大島孝一福岡大学名誉教授、中村栄男名古屋大学名誉教授、谷本光音岡山大学名誉教授、Prof. Owen A. O’Conner(Columbia University Medical Center)。

〈後編では、京都府立医大血液・腫瘍内科学の初代教授になられて取り組まれたことや、KOTOSGを立ち上げたことなどを語っていただきました。〉