血液専門医と医療関係者のための情報サイト「ヘマトパセオ」

この人に聞くThe Experts

ATL、HTLV-1の臨床と研究の最前線を走り続ける
高齢患者が快適に長く生きる治療戦略も必要に(後編)

宇都宮與(今村総合病院 名誉院長、臨床研究センター長)

宇都宮與(今村総合病院 名誉院長)

宇都宮與氏

1977年3月鹿児島大学医学部卒。同年4月鹿児島大学第二内科入局。80年4月〜81年4月愛知県がんセンター国内留学。84年10月国立都城病院勤務を経て、87年8月慈愛会今村病院分院血液内科部長。2004年6月今村病院分院院長、17年6月今村総合病院院長(病院名変更)。18年4月より今村総合病院名誉院長、臨床研究センター長、HTLV-1研究センター長に就任。血液・がん関連のさまざまな学会で評議員などを務めてきたほか、AMEDや厚生労働省、JCOG-LSG、JSPFAD、JALSGなどが実施するATLやHTLV-1に関する多くの研究に現在も携わっている。学生時代から続けている卓球では、全日本医師卓球連盟会長、ジャパンメディカル卓球連盟会長や母校の鹿児島大学卓球部OB会会長なども務める。

 それでも私たちは諦めず、骨髄移植によるATL患者さんの長期生存を目指しました。まず、1989年に名古屋グループの小寺良尚先生(当時の名古屋第一赤十字病院)のもとで医師2人が研修を受け、骨髄移植の知識と技術を学びました。そして92年には今村病院分院における、白血病に対する同種骨髄移植第1例目を実施しました。さらに98年6月、寛解期のATL患者さんに対し、HLA完全一致の兄弟をドナーとする骨髄移植を行ないました。移植後の患者さんは大きな副作用もなく、順調な経過をたどり無事に退院しました。

 99年に鹿児島で開催された第9回国際HTLV会議で、当院のATL患者さんに関する治療成績を発表しました。この会議では長崎大学、熊本医療センター、愛媛県立中央病院からもATLに対する骨髄移植の成功例の発表が行なわれ、早速、全国調査を実施することになりました。その結果、それまでに10人のATL患者さんが骨髄移植を受け、そのうち5人は長期生存していることが分かりました。これらをまとめた結果を、私が筆頭著者として2001年『Bone Marrow Transplantation(BMT)』誌に発表しました。

 振り返れば、ATL治療の潮目はここで変わったと思います。これを機に、若いATL患者さんが造血細胞移植を受けるようになり、最近では70歳以下の患者さんの約8割が移植を受け、生存率が向上したという結果も報告されています。

2018年2月 今村総合病院 造血細胞移植25周年記念講演会の慰労会(鹿児島市天文館:福わらじ)
2018年2月 今村総合病院 造血細胞移植25周年記念講演会の慰労会(鹿児島市天文館:福わらじ)
特別講演に小寺良尚先生(最前列1番左)、谷口修一先生(最前列右から2人目)をお迎えして
2000年4月 MD Anderson Cancer Center短期研修(ヒューストン市)
2000年4月 MD Anderson Cancer Center短期研修(ヒューストン市)
写真下 左から水田先生、嶋田先生、臼杵先生、私、林先生、柿木先生、伊藤先生、室井先生、加藤先生
写真上 右から4人目Moshe Talpaz先生

 私もBMT誌への投稿以来、ATLの専門家として認められるようになりました。当初は鹿児島大学との共同で登録していた、JCOG-LSG(日本臨床腫瘍研究グループ-リンパ腫グループ)、JSPFAD(HTLV-1感染者コホート共同研究グループ)、JALSG(日本成人白血病治療共同研究グループ)の臨床試験にも、今村総合病院として独立して参加するようになりました。現在も、日本医療研究開発機構(AMED)の研究開発分担者として、「HTLV-1の総合的な感染対策に資する研究」(浜口班)、「遺伝子異常の全貌とクローン構造の理解に基づくATL個別化診療の確立」(下田班)、「成人T細胞白血病/リンパ腫の治癒を目指したHTLV-1ウイルス標的樹状細胞ワクチン療法の確立:薬事承認を目的とした第Ⅱ相医師主導治験」(末廣班)などに参加しています。

 HTLVの国際学会でも多く発表の機会を得ることができ、ブラジル、ペルーなどの南米や、カリブ、アイルランド、カナダ、ベルギーなど、一般の学会ではなかなか行けない国々での国際学会に参加することができました。

2007年7月 第13回国際ヒトレトロウイルスHTLV会議が開催された箱根の会場にて
2007年7月 第13回国際ヒトレトロウイルスHTLV会議が開催された箱根の会場にて
左から米倉健太郎先生、私、田島和雄先生、石田高司先生、李政樹先生
2009年7月 第14回国際ヒトレトロウイルスHTLV会議が開催されたブラジル・バイーアにて
2009年7月 第14回国際ヒトレトロウイルスHTLV会議が開催されたブラジル・バイーアにて
左から渡邉俊樹先生(聖マリアンナ医科大学教授)、森直樹先生(琉球大学教授)、私、Ali Bazarbachi先生(ベイルート・アメリカン大学教授)
2013年1月 T細胞リンパ腫フォーラム(サンフランシスコ市)
2013年1月 T細胞リンパ腫フォーラム(サンフランシスコ市)
前列中央:Waldman先生(アメリカ国立衛生研究所)、右:d’Amore先生(デンマーク オーフス大学教授)、後列:山本一仁先生(愛知県がんセンター病院長)
2014年11月 国際レトロウイルス会議元理事長Bangham先生とともに
2014年11月 国際レトロウイルス会議元理事長Bangham先生とともに
左から佐藤賢文教授、納光弘慈愛会会長、Bangham先生、私(鹿児島市 今村病院分院)

新規治療の開発や発症予防にも取り組む
“郷に入れば郷に習う”姿勢が次の発展に

 移植という選択が増えたことにより治療成績が向上したATLですが、決して予後良好なものではなく、課題は山積していると考えています。高齢での発症が増えてきたことから、移植の適応にならない患者さんも少なくありません。抗CCR4抗体のモガムリズマブは、再発・難治性CCR4陽性ATL患者に対する単剤投与により生存期間中央値13.7カ月、無増悪生存期間中央値5.2カ月と従来の単剤の化学療法の成績を大きく上回り、移植非適応の患者さんには有用な治療法となりました。

 初発CCR4陽性ATL患者に対しても、モガムリズマブ併用化学療法は寛解率52%と、化学療法単独に比べて高い寛解率を示しましたが、全生存率には有意差が認められませんでした。また、モガムリズマブ投与患者では移植後に急性GVHDによる死亡が多いことも明らかになりました。これは、モガムリズマブが正常の制御性T細胞も殺してしまうことに起因すると考えられ、現在は移植の可能性のある患者さんではモガムリズマブを使用しない、あるいは投与した場合は移植まで50日以上の間隔を空けるなど「治療の交通整理」が行なわれています。

 ATLの新規治療として、2017年3月にレナリドミドが再発・難治性ATLへの保険適用となりましたが、有用性の検討は引き続き行なわれるべきだと考えています。2021年8月にはHDAC阻害薬のツシジノスタットが再発・難治性ATLへの保険適用となりました。さらに、EZH1/2阻害薬のバレメトスタットが再発・難治性ATLを対象に承認申請されています。

 こうした新規治療の開発が進む一方で、私はATLの患者さんの多くが70歳以上の高齢であることを踏まえ、寛解を目指す強力な治療だけではなく、毎日を快適に過ごし、長く生きるという治療選択も必要だと考えています。

 また、ウイルスが原因の疾患ということで、これまでわが国では母子感染(垂直感染)を予防する対策が進んできましたが、世界保健機関(WHO)は水平感染(主に性感染)に対する取り組みを国際的に進めています。わが国では、断乳や短期授乳の啓発などにより母子感染が大きく減少し、輸血による水平感染はほぼ消失したものの、大人での水平感染の割合が高くなり、母子感染の10倍になっています。夫婦がともにキャリアというケースの研究では、水平感染者においてHTLV-1の特異な抗体が発現していることが明らかになっており、この結果を感染抑制に役立つ方向に進める研究も進められています。

 ATLの治療は日々進歩してきましたが、HTLV-1に感染してATLを発症する機序の全体像は未だに解明されていません。HTLV-1が感染したT細胞における遺伝子発現異常と遺伝子変異の全体像が少しずつ明らかになってきています。HTLV-1が感染T細胞を活性化し、増殖・生存を誘導し、過剰な活性化がT細胞のがん化(ATL発症)を引き起こします。HTLV-1感染細胞の免疫寛容に関連する異常分子の発現は、抗HTLV-1免疫の抑制につながっていることも分かりつつあります。腫瘍化を進展させる細胞、抑制する細胞が腫瘍組織内では存在し、微小環境によって調節されています。今後は、微小環境の制御によるHTLV-1キャリアからのATL発症の抑制、さらにインドレントATLからアグレッシブATLへの進展抑制などが課題となります。

 血液内科の若手研究者には「郷に入っては郷に習え」というメッセージを送りたいと思います。諺は「郷に入っては郷に従え」です。これは新しい環境では風習(前例)に従った方がうまくいくという意味です。でも研究や診療では違います。まずこれまでどんな研究や診療が行なわれていたのかを習う、つまり中に入り込んで学ぶのです。そして、自分の経験も踏まえて従うのではなく建設的な新しい提案をすることが、次の研究や診療の発展につながると考えています。

2011年 今村病院分院会議室にて
2011年 今村病院分院会議室にて
当時の血液医局のメンバーとともに
前列左から徳永先生、牧野先生、高塚先生、私、竹内先生、後列:窪田先生、中野先生、倉岡先生

卓球を巡る余談 今も現役で戦っています

2019年5月 第37回全日本医師卓球大会にて(松山市)
2019年5月 第37回全日本医師卓球大会にて(松山市)
日本赤十字社長崎原爆病院 谷口英樹院長とともに

 最後になりましたが、卓球の話です。大学入学後、高校時代に封印していた卓球をしたくて鹿児島大学本学の卓球部、つまり体育会系の卓球部に入部しました。医学部にも卓球部があることを知らなかったからです。練習は厳しく、おかげで技術も向上しましたが、最初はレベルが高くて対外試合では通用しませんでした。2年目からは全九州学生選手権の団体戦レギュラーとして常に参加し、4年生では一度だけ参加した全国国公立大学卓球大会で団体戦3位、ダブルス準優勝の成績を得ました。

 一方で、2年生になった頃、医学部の卓球部から誘いがあり、6年生まで西日本医科学生総合体育大会(西医体)に5回出場しました。団体戦では優勝はできず、準優勝が2回でした。個人戦はシングルスとダブルスがあるので、合わせて10回参加しました。10回のうち6回は決勝まで進み、シングルスで優勝1回、準優勝2回、ダブルスで優勝2回、準優勝1回という戦績を残しました。少し自慢です。10回中6回で決勝進出したということは、いかに勉強せず卓球に没頭していたかが分かります。卒業後、勉強と医療現場での修行に真剣に取り組む動機にもなりました。

 ただ、貧乏学生ゆえ、遠征費・参加費の負担に困っていたところ、医学部卓球部OBの寄付で参加費用を援助してもらい、大会で優勝などの成績を上げると祝勝会にもタダで参加することができました。これを機に、医学部卓球部OB会が組織され、現役時代にお世話になった恩返しを学生にしています。鹿児島大学卓球部OB会会長も私の当然の務めだと思っています。

 駄目押しの自慢です。新型コロナウイルス蔓延前の2019年4月に愛知県大府市で開催された第25回ジャパンメディカル卓球選手権大会で、男子ファイターベテランの部で3位に入賞しました。まだまだやれるかな、と思っています。

2018年11月 第33回九州・山口医師卓球大会(鹿児島市:鹿児島アリーナにて)
2018年11月 第33回九州・山口医師卓球大会(鹿児島市:鹿児島アリーナにて)
団体戦優勝の熊本チーム(中央2名:平山、佐藤)、長崎チーム(右2名:谷口、森)、鹿児島チーム(左3名:當房、松邨、宇都宮)