血友病Aにおける第Ⅷ因子の研究を40年
“夢のような”治療薬エミシズマブの創出へ(前編)
嶋緑倫(奈良県立医科大学 小児科学教室 教授)
2019.10.03
「この人に聞く」のシリーズ第9回では、奈良県立医科大学小児科学教室教授の嶋緑倫氏にお話をうかがいました。奈良県立医科大学を卒業後、小児科医局に入局、以来血友病の診療と研究、特に血友病Aの原因である第Ⅷ因子の活性についての研究を続け、2018年に血友病Aの治療概念を変えるバイスペシフィック抗体エミシズマブの臨床応用にこぎ着けました。嶋氏は第80回日本血液学会学術集会で第7回日本血液学会賞を受賞。「患者さんに良くなってほしいという気持ちを持ち続け、諦めずに研究に取り組めば、何かのきっかけで大きく進展していく」と話します。
嶋緑倫(奈良県立医科大学 小児科学教室 教授)
1979年奈良県立医科大学卒業、同大小児科研修医、研究生。81年奈良県立五條病院小児科医員。83年奈良医大第2病理学教室助手。86年奈良医大医学博士号取得。87年米国・カリフォルニア州サンディエゴ市スクリプス研究所のリサーチフェローに。89年奈良医大小児科助手、90年同講師、93年同助教授を経て、2009年より現職。14年同大先端医学研究機構長、産学官連携推進センター長。15年同大血友病治療・病態解析学講座教授兼任。
2018年5月に、米国、欧州に続いて、わが国でも血友病Aの新しい治療薬エミシズマブの販売が承認されました。2003年に中外製薬との共同研究を開始して16年、途中、挫折しかかったときもありましたが、ようやく臨床応用にこぎ着けました。エミシズマブはこれまでの血友病Aの治療における課題を一挙に解決できる可能性がある“夢のような”治療薬だと思っています。
大学卒業直後から血友病の診療・研究の道へ
病理学教室を経てサンディエゴに留学
血友病は、血液凝固第Ⅷ因子あるいは凝固第Ⅸ因子の量的、質的異常により出血傾向を来す先天性出血性疾患で、ほとんどの患者さんが男性です。第Ⅷ因子欠乏症が血友病A、第Ⅸ因子欠乏症が血友病Bで、血友病Aの発生頻度は男子出生5,000人当たり1人、血友病Bはその約5分の1です。平成30年度の血液凝固異常症全国調査によると、血友病Aの生存患者数は5,301人(うち女性46人)で、血友病Bは1,156人(うち女性22人)です。
血友病Aは、第Ⅷ因子の活性が正常の1%未満を重症、1~5%を中等症、>5%を軽症と分類されますが、小児期より重篤な出血を繰り返します。特徴的なのは、関節内出血や筋肉内出血などの深部出血です。
関節内出血は、歩き始めて関節の動きが活発になる1歳ころから足関節や膝関節などに出現します。繰り返す関節内出血によって滑膜の変性や炎症が進み、関節症(血友病性関節症)を発症し、関節の可動域が制限されます。筋肉内出血は、けがや激しい運動の後に大腿筋や腸腰筋など下肢の筋肉や前腕の筋肉に生じやすく、疼痛性の腫脹や運動障害を来します。いずれも患者さんのQOLを大きく障害し、日常生活を送る上で様々な制約が生じます。
私は、1979年に奈良県立医科大学を卒業し、小児科学教室に入局しました。奈良医大小児科では、一般の小児診療だけでなく、血栓・止血科として成人も含めた血友病をはじめとする様々な出血性疾患や血栓性疾患の診療も行なっており、医局員は全員が血液凝固因子の研究に携わっていました。
当時、血友病の主治医として一人前と認められるには、血友病の診断の他に、第Ⅷ・第Ⅸ因子の測定や止血管理ができるかどうかが指標となっていました。私も何とか1年目に主治医になることができましたが、すぐに「血友病の研究もするように」と言われ、研究にも取り組むことになったのです。
2年目から本格的な研究を始め、まず血友病Aの病態を明らかにするために第Ⅷ因子の活性のみならず抗原を調べることがテーマとなりました。第Ⅷ因子抗原を測定するためには、第Ⅷ因子を純化して抗体を作製することが必要です。ところがこの純化が難行でした。当時、小児科に在籍されていた元輸血部教授の藤村吉博先生が考案した免疫純化法をもとに、抗von Willebrand 因子(VWF)抗体カラムに結合したVWFと第Ⅷ因子の複合体から、第Ⅷ因子を分離純化する方法で実施しました。しかし、純化できた第Ⅷ因子の蛋白量がきわめて少なくウサギに免疫しても、抗体を作製することはできませんでした。
そこで、新たな第Ⅷ因子抗原測定法の開発が必要になるのですが、卒後3年目からは県立五條病院の勤務となり、診療を終えてから大学に通うという生活を2年間続けました。そのころ、英国に留学されていた元小児科教授の吉岡章先生が奈良医大に戻られました。吉岡先生は、英国で血友病Bに関わる第Ⅸ因子に対するモノクローナル抗体の作製に成功し、さらにImmunoradiometric Assay(IRMA)による第Ⅷ因子抗原測定法を用いて血友病A患者第Ⅷ因子の存在様式に関する研究をされていました。
血友病A患者の第Ⅷ因子の構造機能解析のために第Ⅷ因子に特異的な抗体を作製したいと考えていた私に、凝固因子に対するモノクローナル抗体の作製とIRMAによる第Ⅷ因子の存在様式に関する研究を続けたいと考えておられた吉岡先生から白羽の矢が立ちました。そして高力価のインヒビターを保有する血友病Aの患者さんの血漿検体から、ヨウ素標識した特異的抗第Ⅷ因子抗体を用いたIRMA純化により、血友病A患者の第Ⅷ因子抗原の測定系の確立に遂に成功しました。この方法で、質的異常を有する異常第Ⅷ因子の検出も可能になりました。さらに、von Willebrand因子(VWF)や第Ⅷ因子に対するモノクローナル抗体を作製するために、ちょうど抗腫瘍モノクローナル抗体の作製を行なっていた第2病理学教室への出向の勧めがあり、この間に五條病院から奈良医大に戻り第2病理学教室の助手となりました。そこで約1年間かけて、まずVWFのモノクローナル抗体の作製に成功しました。さらに、この抗体を用いて抗VWF抗体カラムを作製して第Ⅷ因子の純化と抗第Ⅷ因子モノクローナル抗体の作製に着手しました。結局、病理学教室に2年間在籍の予定が4年間になってしまいました。その間に、第Ⅷ因子の純化に成功し5種類の抗第Ⅷ因子モノクローナル抗体を作製することができました。このモノクローナル抗体を用いたイムノブロッティングにより、第Ⅷ因子のバンドがくっきりと現れたときには、本当にうれしかったことを覚えています。
1986年の国際血栓止血学会でポスター発表をしたところ、サンディエゴのスクリプス研究所で第Ⅷ因子の研究を進めていたCarol Fulcher先生の目に留まり、それを機にサンディエゴに2年間、リサーチフェローとして勤務することになりました。スクリプス研究所では、初めの半年は第Ⅷ因子の純化ばかりさせられましたが、その後、第Ⅷ因子の機能に必須のアミノ酸を3つ同定し、ボスのZimmerman先生から「Exciting!」と評価され非常にうれしく思いました。この成果を『Journal of Biological Chemistry』誌に投稿したのですが、修正なしの一発で受理され、ボスも非常に喜んでくれました。
〈後編では、失敗を乗り越えて製剤化が実現したバイスペシフィック抗体の開発についてお話しいただきました。〉