多発性骨髄腫の診療と研究に42年
治らないから「治る」までの進化を見つめる(後編)
鈴木憲史(日本赤十字社医療センター 骨髄腫アミロイドーシスセンター長)
2018.04.12
鈴木憲史氏(日本赤十字社医療センター 骨髄腫アミロイドーシスセンター長)
1950年埼玉県生まれ。76年新潟大学医学部卒業後、日本赤十字社医療センター内科研修医に。78年東京医科歯科大学医学部大学院専攻科入学。82年東京大学医学部第3内科(血液学専攻)の研究生に。90年日赤医療センター第2内科副部長、95年同第2内科部長。2012年同センター副院長。14年薬剤部長兼務。16年骨髄腫アミロイドーシスセンター長。日本内科学会内科指導医・総合内科専門医・評議員、日本骨髄腫学会理事、日本免疫治療学研究会理事などを務める。
多発性骨髄腫治療は“ルネサンス”期に
生存期間の延長による新たな問題も
卒業後20年間は、MMの治療に進展はほとんどありませんでした。1960年にMP(メルファラン+プレドニゾロン)療法が始まり、1980年以降は、大量メルファラン療法、VAD(ビンクリスチン、アドリアマイシン、デキサメタゾン)療法などが試みられました。1990年代に入ると大量化学療法後の自家造血幹細胞移植が導入されましたが、どの治療法も全生存期間(OS)を若干改善するだけで、大きな進化ではないと私には思えました。書いた死亡診断書は、これまでで数百通になるでしょうか。
もちろんその間、手をこまねいていたわけではありません。骨の痛みなど苦痛を訴える患者さんに寄り添い、少しでも長い時間、ベッドサイドにいるようにしました。一方で、新しい薬の開発が海外で始まるという情報が入れば、すぐに治験に参加できるよう、いろいろな伝手を通して働き掛けました。その積み重ねが、今日のように、新薬のグローバルの治験にわが国も参加できるようになった礎になっていると自負しています。
実は、私には留学経験がありません。30代前半に米国留学のチャンスがあったのですが、当時の米国大統領のレーガンが、海外からの有給研究者の採用を削減したため、話が流れてしまったのです。その代わり、日本の多くの優秀な先輩に出会うことができ、それが海外との交流のルートにつながっていきました。
MMの治療が新しい展開に入ったなと感じたのは、ゾレドロネートなどビスフォスフォネート製剤がMMの骨病変に効果を示すことが明らかになったときでした。1990年代後半のことです。
そして、1999年にサリドマイドが再発・難治性のMMに有効であることが示され、21世紀に入ってからは新規薬剤が次々に登場してきました。決定的だったのは、ボルテゾミブとレナリドミドのMMに対する効果が示されたことでした。サリドマイド、レナリドミド、ボルテゾミブの3剤が出そろい、MMのOSは大きく延長し、治らない疾患からコントロールできる疾患へと変わりました。
2010年代に入ると、ポマリドミド、パノビノスタット、カルフィルゾミブ、エロツズマブ、イキサゾミブが次々に臨床応用され、患者さんのOSは7年近くまで延びてきました。MMは慢性疾患という位置づけに変わりつつあるのです。そしてダラツムマブという抗体医薬の登場によって、MMは治癒が期待できる疾患になると私は考えています(図1)。
MMの治療は、20世紀の“暗黒の時代”から、MMから患者さんが解放される“ルネサンス”期に入ったと実感し、そこに立ち合えたことを幸運だと思っています。そして、少なからず患者さんの明るい人生に貢献しているとも感じています。悔しいのは、昔、出会った患者さんに今の治療ができなかったことです。今なら、亡くなることはなかったかもしれないと思うことがしばしばあります。
治療成績が向上したとはいえ、喜んでばかりもいられません。かつては3年くらいだったOSが、今では5〜7年に延びた分、患者さんは通院期間が長くなります。MMの患者さんは高齢者が多いので、ご家族が付き添われる場合がほとんどです。娘さんが付き添うことも多く、患者さんの療養生活に7年も付き合ううちに、結婚のチャンスを逃してしまうことがあるのです。仕事を辞めざるを得ないケースも、これまでにありました。私は「付き添いはやめて、働きなさい」と家族に説明し、本人には「次の世代を巻き込まないような療養生活を考えよう」と話しています。
患者さんが現役で働いている場合は「治療に専念したいので、仕事を辞めようかと思う。高額療養費の負担も減るから」と打ち明ける人もいます。私は「働いていると負担額は多いが、辞めると収入がなくなる上、負担額も少なくないからもっと大変になる」と説明しています。
高額な薬剤費は本人や家族の負担であり、生存期間が長くなったために、それはどんどん重くなっています。これは世界的に“financial toxicity”(経済的毒性)として問題になっています。国民皆保険制度のあるわが国では、本人だけでなく医療経済の毒性になりつつあります。臨床現場に立つ我々も、真剣に向き合わなくてはならない問題です。
ドラッグラグを少しでも早く解消したい
少年のような心を持ってベッドサイドへ
医療費の増大という課題を抱えるMMの治療ですが、私は治癒の先にMMに進行させない「予防」の時代が来ると確信しています(図2)。MGUSやくすぶり型の分子病態も次第に明らかになりつつあり、その段階でMMへの進行を食い止めれば、多額の医療費を使わずに済み、患者さんの生存期間は延長し、QOLも向上するはずです。
もう一つ、わが国のMM診療が抱える問題が、ドラッグラグです。MMに限った問題ではありませんが、新薬の治験を行うときに、日本はしばしばその対象から外れています。私は、多発性骨髄腫の国際研究のアドバイザリーボードメンバーを務めていますが、ある薬の臨床研究の計画を立てるとき、示された世界地図に日本が載っていなかったのです。ショックでした。以来、新薬の情報が流れてきたときには、必ず声を上げるようにしてきました。その甲斐あって、ダラツムマブのグローバルの治験では、最初から日本も参加することができ、ドラッグラグはほとんどありませんでした。
血液疾患領域で臨床や研究に取り組んでいる先生方には、次のようなことを伝えたいと思います。まず、今、治せる病気は、先達のデータをもとにきちんと治すことが重要です。一方、治らない病気の場合は、それを治す手立てを考えてください。また、同じ診断名でも治療がうまくいく場合といかない場合があります。マニュアルやガイドライン通りの対応では、医療の進歩はありません。
そして、ベッドサイドに立つときには、“少年のような心”を持ってください。これは、川崎病を発見した元当院研修医委員会委員長の川崎富作先生がおっしゃった言葉です。川崎先生は、原因不明の発熱で入院した子どもに皮膚の発疹があるのを見て「あれ、今までと違う発疹だ」と気付き、そこから子どもの全身の血管炎症候群を見つけたのです。
これは“sense of wonder”を養うことにほかなりません。日々の臨床で、患者さんを注意深く観察することはもちろん、さまざまなジャンルの人と交流し、情報を得ることも大切です。新しい発見、ひらめきがあるはずです。